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2001 年 3 月ぶんです。
★ ★ ★
2001/3/26(日)小雨
今日は麻雀の日。負けたー! あれー、おかしいなー、、、。
せいぜい考えて打っていたのに、ぼくだけウラ3が乗らない。
風速 0.5 で -55。
帰ってきたら「すP」読者から好意的な読後感と新着バグレポート。
ほんとにすみません、、。
●p70
★掛け網部分の2個目
×
aaa
aaaa
aaab
aaaaa
aaaab
○
aaa
aaaa
aaaaa
aaaab
aaab
ひえーこれを見つけるってすごいぞ。
1週間で読み通したそうで、そんなに頭いい人がぼくの本を喜んで読んでくださってて面映いやら、光栄やら。
ちなみに「すP」には載せられなかった __DATA__ 文(アンダースコア2つに注意)を使って検証プログラムを書いてみた。
#! /usr/local/bin/perl -w
# sorttest -- test sort order
print sort {$a cmp $b} ;
__DATA__
aaa
aaaa
aaab
aaaaa
aaaab
このように書くと、__DATA__ 以降の行がデータファイルになり、
をスカラーコンテキストで評価すると1行ずつ、リストコンテキストで評価すると一括して読み込まれ、
こうするとデータとプログラムをセットにできます。では実行。(ああ、「すP」調、、)
% sorttest
aaa
aaaa
aaaaa
aaaab
aaab
何度見ても読者の方のご指摘が当たっている。(^^;;;
★
Perl の oop の本がピアソンから出てい、買う。6000円余なり。
ヘンテコな本で楽しめるが、翻訳が生硬で読みにくい。
ここはこう訳すべきでは、とか思ってると読み進められなくなる。職業病かしら。
★ ★ ★
2001/3/16(金)晴れ
元同僚が映画が見たいというのでギャラクエに連れて行く。2回目。
別の掲示板で話題になっているのだが、戸田奈津子の字幕がところどころバグっている。
「ギリガンズ・アイランド(日本での題名は「もーれつギリガン」または「ギリガン君SOS」)」が
行きがかり上「13日の金曜日シリーズ」になっているのは思いやりなんだろうけど、
「ネビュラ星雲」というのがあったと教えてもらう。
これ、ぼくも知らなかったが(いかんがな)nebula というのはそれじしん星雲という意味がある。
(日本の「星雲賞」はアメリカの「ネビュラ賞」の直訳だったのね)
たぶん「宇宙猿人ゴリ(後に「宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン」「スペクトルマン」と2回題名が変わる)」の
「ネビュラ星」から来た間違いかと思われるが、戸田奈津子おばはんがスペクトルマン見てるわけもなく、
どういう作業工程なのか非常に興味深い。
「ダーティハリー2」という映画で
ハリーが爆弾を持って上司のオフィスを訪れると、上司が電話で話していて
「おおハリー、今電話でちょうど話しているのが、、」
と言った瞬間に爆弾を上司のデスクにどん、と置いて、上司がびっくりして
「ジーザス・クライスト!」
ハリーが
「よろしく言っといてくれ(say hello to him)」
というやりとりがあって、スクリーンかなんかの英語教室で題材になっていたが、
この冗談も見事に字幕ではカットされていた。
字幕と英語のセリフは全然違う。あー英語聞き取れるようになりてえ。
キャプションを映画で知ってる映画を繰り返し見るといいと思って、その機材そろえたのだが、暇がない。
最初にその教材に選んだのがウッディ・アレンの映画で、もー画面が字だらけになってしまってダメダメ。
そのあと選んだのが「ID4」で、これは「うわーっ」とかばっかりで全然ダメ。
もっと中間の、いい感じの映画を選ばんかい。
そういえば木曜日、社内教育で翻訳者の人にやってもらったときも、冗談は訳せない、という話になる。
いぜんぼくが遭遇したケースでは、プロセス管理のスレッドの話で
「When emperor has no thread」という文があった。emperor という概念はそこまで出てこない。
会社の外人(当時の社長)に「コンピューターにエンペラーっているんですか」というと
「いないですねえ」というので「When emperor has no thread」ってなんですか、というと、
ああ、なんかドイツかなんかの子供が読む話で、王様が服をあつらえて、、というので
「裸の王様、ですね。最後子供が王様は裸だ! と叫ぶという」
「そうそう、英語では、Emperor has no thread! になるんです。thread には糸の他に服って意味があるんですよ」
「この場合はどうするんですか」
「冗談は取っちゃうんです」
「スレッドが全然ないとき、でいいですか」
「そうなりますねえ」
結構さびしいものだ。
音楽専科社刊、史上最強のオタク座談会(3)「絶版」というのを読む。
このシリーズ大好き。岡田斗司社さんと、田中公平さんと、山本弘さんが(おもに)アニメ業界を斬りまくるというもの。
ぼくなんかアニメも特撮もSFもぜんぜん見てないのでナニ話してるかぜんっぜんわからないのだが、
何を話してるかわかったらさぞかし面白いだろうという想像を膨らませるだけでめちゃくちゃおかしい。
この全3冊(続くのかな。hm3 という雑誌では続いてるけど。続いて欲しい)は座右において、
本を書いてた頃は文章が書けなくなるとちょこっと読んでドーパミンを補給して続きを書く、などということをやってた。
いいのかそんな仕事で金取って。まあ内容をパクるわけじゃないからいいですよね。誰に言ってるの。
そういえば「BSマンガ夜話」という世評の高い番組があり、岡田氏も出てい、
ちょっと前に唐沢なをきさんの「カスミ伝△(さんかく)」がテーマということですごく期待して見たのだが、
ぼくにはあまり面白くなかった。話じたいはわかるのだが、やはりテレビ番組としての演出が往年の「若い広場」(という
題名かどうか忘れたが)かなんかのノリ。やはりバシバシ編集して、ここで笑ってくださいというとこでは
ゴシックのスーパーかなんか入れて作りこんで欲しい。あと、夏目房ノ介さんが「この本の何ページに、、ここ、映りますか、、
ここで、、」とか言っているが、こんなの「こんなコマがあるんですけど、、」と言って編集で隅に四角で入れるんじゃダメでしょうか。
(あの四角を「ワイプ」という人がいるけど、wipe(拭き取る)はシーン転換の効果のことだと思うがいかがか)
昨日透明な文体と透明じゃない文体という話をしたが、それについてむかし本で読んだことを急に思い出した。
アシモフが、SF作家になるガイド、みたいな本で「自分の文体は(シルヴァーバーグやハーラン エリスンのようなスタイリストに
比べて?)無色透明でつまらない、という世評があるが、ガラス製造の歴史をひもとくと(ここがアシモフらしい)、
ステンドグラスのような色ガラスよりも、透明なガラスを作る方がずっと難しく、後になってやっと出来たのだ」と語っている。
いっぽう、井上ひさしが(たぶん)「文章読本」で「透明な文を書け、というお説教が多く横行していますが、
文章が透明であることはそんなに必要条件なのでしょうか。透明じゃない文に味わいがある、という場合もあるんじゃないでしょうか」
と書いている。このへん、彼我の違いがあって面白い。たぶんアメリカはストランク&ホワイトのような教科書を使った
透明な(達意の)文章が基礎教養としてあまねく行き渡ってい、プロの作家としてノすにはある程度凝った文体じゃないと
いけないのだろう。一方日本では自然主義リアリズム、小説にウソがあってはいけない式のお説教が行き渡っているので、
文章にも透明感が道徳的に求められたりするのではないか。
ぼくがエンターテインメントのいち読者として透明な文章がありがたい、と思うのは、
小説を読んでいるとき小説を読んでいることを忘れたいからである。
ポルノがいい例で、小松左京のSFなどにはポルノとして立派に通用するものがいっぱいあるが、
どうも文章が面白すぎてあのおっさんの顔が浮かんできてしまい、ポルノとして読んだことは一回もない。
(作者もその意図では書いていないところではあるのだが)
エンターテインメントを読んでいる間は登場人物の世界に没入したいので、作者の顔や技巧は隠れている方が
ありがたいと思う。
逆に、文体にスタイルがあったとしても、それをも気にさせない迫力があれば没入して読める。
あと、文体のたどたどしさがメタ文学として迫力を生んでいる場合もある。
江戸川乱歩の「孤島の鬼」の少女のモノローグ部分(だんだん少女がおかれている状況がつたない文で明らかになっていく恐怖)や、
もちろん「アルジャーノンに花束を」(翻訳の小尾芙佐さん、労作)やアシモフにも「神々自身」(これも小尾芙佐さん)という傑作がある。
神々自身の第2部に関しては、アシモフ自身ヘンな宇宙人が描けない、セックスが描けないと批評されてい、
じゃあ書いてやろうと挑戦した作品らしく、ちょっとニューウェーヴっぽくなっているのがすごく面白い。
この人の巨匠なのに軽薄なところは手塚治虫に似ている。
あと、当然一作一作文体の冒険をしているキングや筒井康隆も全然失速せずに没入できる。
ということで、透明な文体が好きだ、と書きたかったわけではなく、不透明な文体が邪魔してエンターテインメント世界に没入できない
作品がある、とくに日本に多いような気がする、と、どうも昨日は書きたかったようだ。
映画のあとはハンズの側で安いフレンチを食べる。少し味付けがぼくには甘口だが面白いメニューがあって便利な店を見つける。
って店名を書かないわけだけど(^^; (誰も読んでないから気にすることはないのだがー)
そのあとカラオケを1時間だけ。歌ったのは
恋をしちゃいました(タンポポ)
You Could Be Mine(Guns'n'Roses)
恋と欲望(宮村優子)
プリン賛歌(「おじゃる丸」エンディング)
宇宙大帝ゴッドシグマ(ささきいさお)
恋愛レボリューション21(モーニング娘。)
他にも歌ったけど忘れた。
「恋と欲望」はたしかピチカートファイヴの編曲をしている高浪さんが編曲をしている曲。
ずーっと歌いたかったけど入ってる店が少ないのよー。
でもオカマカラオケは一定の評価を得られる。みやむーはいい曲多いのでいっぱい入れて欲しい。
You Could Be Mine はもはや定番だが、後半に回さないと喉がかゆくて後の曲が歌えなくなるので注意しよう。
センター街のカラオケ屋だが、人工的にハモりがつくのがすごく面白い。
しかし、人が少なかったなー。
★ ★ ★
2001/3/15(木)晴れ
最近急に雨が降ったり、小雪が降ったり、晴れても急に寒かったりと落ち着かない。
寒いときテレビが「これは寒(かん)の戻りですね」とか言ってい、
なるほど昔のひとは偉かったもので、どんな気候も予言しているのだなあと思ったりもするが、
よく考えたら矛盾したことわざ(君子危うきに近寄らず<=>虎穴に入らずんば虎子を得ず)とかと一緒で、
長い間掛かってあらゆる気候のパターンにいろんな言葉を当てはめてきたというだけなんじゃないか。
「しばらく暖かかったのに今日は寒いなあ」「『寒の戻り』だね(ニヤリ)」なんて、
実は何の意味もない受け答えかも。
何の意味もない言い方で、しかもぜんぜん面白くなく、しかも(ここが大事)面白いとされている物言い、
というのがこの世にあって、いわゆるオヤジギャグというのかもしれないが、非常に気に障るときがある。
昨日一日で読んだ前田武彦・関根 勤の対談集『おしゃべりに会いたくて』はそんな世の中の気に触る言い方と
その効果的な言い換えや切り替えしなどを書いた、おしゃべりの処世術といった内容の好著だ。
いわゆる「まじめな本」なのですごく面白いとはいいにくいが、30年代のよかったころの TV ヴァラエティの
立役者にまつわるエピソードも満載で、ぼくなんかは楽しめる。
関根 勤は雨が降った日にゴルフ場のロッカールームで、見知らぬ人に「今日は雨で残念でしたね」と聞かれ、
「そう、せっかくのゴルフなのに、最近よく降られちゃって」と言われ、「雨男なんじゃないですか、
雨を連れてこないでくださいよ」と言われて、怒りのあまりなにも言い返せなくなったそうだ。
この気持ち、ほんとによくわかる。じつは最近会社に夜携帯が掛かってき、こっちにしたら全然面白くない
「冗談」(に、ぜんぜんなっていないのだが)をいわれて腹が立ち、口論になったことがあったので、
非常に我が意を得た。
この本、オビに「楽しい会話には、ボケもツッコミもいらない」と書いているが、これは金言だ。
あの不毛な MANZAI ブームのあとに、ボケ<=>ツッコミ理論による非常に安易な笑いが横行し、
素人の日常生活の中でも一人を血祭りにあげて残りの大勢が笑っているような(これはよく考えたら古いサラリーマン
社会などでも綿々と行なわれていることなのだが)程度の低い笑いが横行している。
自分なども(常に回りに笑いがないと不安になるほうなので)ついこの方向に行きそうになるので、身が引き締まる思いがする。
最近はもっぱら自分を笑いにするようにしているが、そうすると程度の低い人が図に乗って、しつこくぼくを
攻撃してくるのだ。自分で言ってるのだからワタシが言ってもいいでしょう、というわけだ。
自分で自分を笑いにするのと、その尻馬にのってその人を他人が攻撃するのは意味が違う。
しかも、明らかに後者の場合冗談にかこつけて自分の優越性を(?)示そうとしていたりする。こうなるとユーモアとは全然関係ない。
で、ムッとしてみせたりすると「冗談、じょうだんでしょう、なに怒ってるのよ」である。
このような状況で、笑いと尊敬を両立した会話は非常に難しい。結局わかっている人とだけ選別的に付き合えばいいのだし、
幸い友達には恵まれているし、ぼくも中年期を向かえてその時期に入っているとは思うのだが、なかなか社会的にそうもいかないのよ。
ファミレスのバーミヤンの意味が知りたくなって検索を書けたら、こんなサイトに当たった。
「こちら名前探偵局」
これはすごいよ。花王石鹸の由来はかおをあらうせっけんとか書いてある。
バーミヤンの件は「新着情報」に入っていて笑った。作者もニュース見てて気になったらしい。
こういうとき、作者と読者(この場合わたし)が一方的に心が通い合う幸福な瞬間があるといえる。
「唐沢俊一「一行知識」ホームページ」と並ぶ名サイトと言える。
ちなみに一行知識の過去ログはぼくもちょこちょこ投稿しているので「すP」ファンは要チェック。(^^;
唐沢氏の本「トンデモ一行知識の逆襲」にも何個か採用され、アクノウリッジメントに名前が出た。(自慢)
引き続き本の話題。本読んで、映画見て、なんか中野翠みたいだな。(^^;;
ジョナサン ケラーマン「殺人劇場」を読む。
現代は butcher's theatre ということで、中東戦争のエルサレムの古戦場のことだそうだ。
地名としては「屠殺者の戦域(theatre)」という意味になるが、ここを舞台に現代のエルサレムで連続殺人が展開する。
ケラーマンのルーツはユダヤ人ということで、ユダヤ人のルーツを追及するために書かないわけにはいかなかった、
という本らしいが、圧巻というしかない大作である。非常に泥臭い警察小説で、
先に読んだアレックス&マイロものの「クリニック」の洒脱な味わいは少し引っ込んでいるが、
酸鼻な殺人とクールな文体、ハードな捜査となごやかな家庭生活の対比、というこの作家の持ち味はいかんなく発揮されている。
この本は、カンタンにいうとエルサレムで殺人事件を解決するのはいかに大変か、という話。
関係者は大きく分けてアラブ人、ユダヤ人、国連、あとはアメリカ人ジャーナリストなどだが、
誰一人素直に口を割らない。アラブ人はユダヤ人に罪をかぶせようとし、逆も真なりである。
刑事も多民族の混成チームになるが、この間にも当然軋轢がある。この刑事チームの個性のぶつかり合いがたまらない。
そしてフラッシュバックされるサイコパスな犯人のモノローグ。実は犯人のモノローグを途中に挿入する小説があまり好きではないのだが、
この作者のは圧巻。警察の捜査とだんだん交錯してくるところなど、もーたまらん。
読んでいて何回か宙を仰いでため息をし、つとめて冷静になりながら読み進めた。こんなのは久しぶり。
黒沢映画の「天国と地獄」や、映画にもなったマルティン ベック シリーズもよかったが、
民族問題がからむだけで数倍の重厚感が出ている。そういう重い物語を引きずってラストに向かうサスペンスもすばらしい。
それにしても新潮文庫、カバー裏のあらすじがまたひどいですよ。読むのがいけないんだけど。
今度から新潮文庫は買ったらカバーを外して読むことにしよう。
しかし、こういう本を読んでしまうと、普通のシャラッとした推理小説に戻れるかなあ、と思う。
日本を舞台にこういう作品は書けないだろうか。いずれも未読だが「レディ・ジョーカー」とか「新宿鮫」とか「不夜城」が
そうなのかな。松本清張も読まないといけない。
しばらくはジョナサン ケラーマン、レンデル、ミラーを買い込んでしまったので抜けられなそうだが。
あと、ぼくのばあい透明な文体が好きなので、日本の作家より翻訳ものが好きだったりする。
日本の作家で読んでて気持ちいいのは筒井康隆、大江健三郎(読みにくいので有名だが、慣れるとむしろ読みやすい)、
倉橋由美子、安倍公房という、書いてみて気づくが、どちらかというとハイ アート系の作家が多いのが皮肉だ。
エンターテインメントでは小林信彦の文章が圧倒的に読みやすい。
エンターテインメントの人に透明な文章をもっと研究してほしいというのが読者の勝手な言い分だがどうでしょう。
殺人劇場を読んでいて気になったが、警察の捜査費用って基本的に青天井だ。
事件の捜査を経済的な理由で打ち切る、ということは半ばないに等しく、またあってもらっては困るのだが、
これって外務省の監房機密費と一緒で一種の打ち出の小槌になるのではないだろうか。
日本の警察のトンデモぶりを見ているとちょっと気になる。架空の刑事とか作ると大もうけできそうである。
Perl の話題はすごくいっぱいあったが書いている余裕がない。
会社の Perl 相談室の掲示板、書く人がいなくて(みんな質問は口頭でしてくる)自問自答状態だが、
本にすると面白いかもしれない。
最近気になるのが IE では表示できるが NC では表示できない HTML。
パス区切りに \ を使っているページがあって、NC では \ を手で / に変えないと読めない。
IE はなぜか読める。
あと、フォーム要素の テキストボックスに STYLE="ime-mode: disabled" というアトリビュートが渡せ、
そのボックスにフォーカスを持っていくと自動的に IME がオフになるそうなのだが、
これが NC だとダメだ。もっともこれなんかは、原理的に Mac とか UNIX では無理なので相手にしなくてもいいのかな。
インターネットは互換性がキモだと思うのだが、こんなことでいいのだろうか。
★ ★ ★
2001/3/7(水)晴れ
ちょっと著書を書いてみた。(もーさいきんこれぐらいのペースでしか仕事が進まない)
use strict 'vars';
でパッケージ名を明示するか my 宣言するかしないで変数をいきなり登場させると怒られる、
という話で、$a という変数をココロミに登場させてみると、なんと、怒られない。
$b も怒られない。
$c だと怒られる。$aa も怒られる。
もーわけわかんなくなり、某掲示板で相談すると、あっさり解決する。
答えは今日の日記の最後。
「すP」の読者の方から手紙をいただき、日記の感想も書いてあって面映い気持ちになる。
が、こうやって読んでいただいているのはいいものだ。どうもありがとうございます。
会社の休憩室でアフガニスタンのバーミヤンの石窟寺院をイスラム原理主義者勢力タリバンが壊している話になる。
みんなまず思ったのが、なぜ中華のファミレスをタリバンが砲撃するのか、ということだ。
バーミヤンの人もいい迷惑だろう。(東京にはそういう名前のファミレスのチェーンがあるのです。地方にもあるかな)
あと「石窟寺院(せっくつじいん)」を「セックスシーン」と聞き間違えるという話がなんかの Web に書いてあった。
もーめちゃくちゃ。でも確かに石窟寺院よりはセックスシーンの方が言葉としては普段使うからな。(???)
タリバン、非難の嵐だが、わたしはあえて弁護したい。こういう Web に日記を書いているようなやつはどうせ
時事問題で逆説を振り回しがちだが、この問題はマジである。磨崖仏を作るのも文化なら、破壊するのも文化である。
他宗の偶像が自分の国にあるのが、彼らにとってどれだけ精神的苦痛であるか。
真剣にやってることを誰も止められないのである。
国連が反対しているようだが、いま読んでる本の中で国連がすごく紛争地域で評判悪いように書いているので
複雑な感情を持つ、と話すと、たしかに日本とかにいると国連なんていいっぽい雰囲気があるが、
紛争地域や貧困地域では毀誉褒貶があるようだ。うちの会社は海外経験が多い人多くて、結構いろんな話が出たが、
ウラが取れないのでここまで。
森首相が辞めないやめない。しかし保守三党は不信任案に否決の票を投じたんだから、辞職を勧告するのは
おかしいという小沢一郎説が非常にわかりやすい。国民は今回の不信任案に反対の一票を投じた人の名前をよく覚えておこう。
さて、巻頭の答えだが、 sort { } の中で $a と $b は使うという話。なるほどねー!
プログラムの中で %main:: というハッシュを一覧表示させてみると、現在 main パッケージで管理しているシンボル テーブルの
一覧が表示できて楽しい。
★ ★ ★
2001/3/4(日)雨=>晴れ
朝のうち風雨が強かったが、午後になって陽が射してきた。これから洗濯をして、ジムに行って来よう。
ダイキンエアコンという会社の
♪求められて〜(うるる〜)捨てられて〜(さらら〜)求められて〜(うるる〜)また捨てられて〜(さらら〜)
もうどうにでもして〜、というCMソングが面白い。
「部屋の湿気」が歌っているのだが、「はじめてのチュウ」風のマシーンが掛かった声で
フレンチ ボサノヴァ風の曲でいい感じ。
あとめちゃめちゃカッコいいロボット映画の予告編かと思ったら進研ゼミでした。
★ ★ ★
2001/3/1(木)小雨
4時で早上がりし、小雨の中お通夜に行った。考えたら母や祖父母以外の葬式は初めてだ。
同道の者もそう言っていた。
黒っぽいスーツが偶然クリーニングされていて助かった。
コンビニで黒いネクタイ、傘(ビニール傘じゃないほうがいいとなんとなく思った)、
香典袋、筆ペンを買った。筆ペンは両端に穂先がついてい、一方は慶事用の濃い墨、
一方は弔事用の薄墨になっている。香典袋の包装に、弔事の場合は背面の折り返しを、
天側の折り返しが上側に来るように折って水引きで止めること、とか書いている。
知らないことばかり。
スーツの下はTシャツで会社に行き、会社のビルの服屋で白いワイシャツを買う。
小雨の中を会社の人とお通夜に行った。
武蔵野の小さな駅。田舎で驚く。
というか、東京とかの郊外は、いわゆる田舎という温かみがなくて寒々と感じて馴染めない。
土地があるだけ。
こぢんまりとした斎場に対して会葬者は大層多く、かんたんに焼香を済まして帰る。
帰りがけ、同行の者と話す。渡されたお礼の品に挟み込まれた礼状の文面に故人の名前があって、
活字になった名前を見るとあらためて不思議な感じがした、とか、
故人は昨年会社を辞めてこの春再就職するまでの間に暇があったので車の免許を取ったと言っていた、
旅行に行くとか言っていたから、自分でもこんなに突然亡くなることはまったくの予定外だったに違いない、
などなど。どんどん非現実感に襲われて、歩いている脚から力が抜けるような気がした。
故人とは出張でアメリカに行ったことがある。
一行豆知識みたいなことがお互い好きで、別の上司に運転させて
(ふたりとも運転が出来なかったので)後部座席でだらだら話しながら旅した。
「さっきの中華レストラン、No MSG って書いてあったね、味の素使ってないんだね」とぼくが言うと、
「あっ、MSG って味の素のことなんだ、ずっと気になっててさあ!」
とおもちゃをもらった子供のように笑顔になる。ぼくも気を良くして
「エムなんとかソジューム グルタミネート、だと思うよ」というと
「そうかぁ、、」と言って黙り込んでしまう。で、10 分後、例の満面の笑顔で
「モノ(Mono)だね!」と言った。その笑顔と言い方がおかしかったので笑ってしまった。
そんなことを思い出す。
いかに当時やっていた大河ドラマ「秀吉」の竹中直人の演技は鼻につくか、ということも話して意気投合したりもした。
3人でモールに買い物に言った。娘さんが可愛らしくてしょうがないらしく、
「スヌーピーのものを買って帰らないといけなくてさあ」とうれしそうにぼやいていた。
ぼくが「アメリカはサービス1番の国だから、警備員でも誰でも聞けば教えてくれるんじゃない」というと、
ほんとに黒人のいかにもという感じの警備員につかつかと近づいて、遠くから聞こえる声で
「スヌーピー!」と言った。ぼくともう1人は思わず笑ってしまったが、
アメリカはぜんぜんこれでオッケーである。
ぼくはもう1人と別れて、故人と一緒に警備員の指し示した方向に言った。
トイザらスのような巨大なおもちゃ売り場にスヌーピーのコーナーがあったので、
ほら、あるよ、とぼくが指差すと、渋い顔で「ジョー・クールのじゃないとダメなんだよな、、」
と言った。ずっと書いてこなかったが、50がらみのおじさんである。
50がらみのおじさんが娘に頼まれてジョー・クールのグッズを探していたのだ。
そんなことを思い出す。
故人は正調ハッカーで、実を言うとぼくに Perl を進めてくれたのは彼と言っても過言ではない。
ぼくはお返しに Emacs を教えようと思ったのだが、これはうまくいかなかった。
なんでも原理原則から説き起こす人で、見解の相違は多々あったが議論が成立するので、
ぼくとはウマが合った。
経済のことや、社会のことや、人類の行く末のこともよく話した。
年が離れているのにこんな話をしてくれる人はめずらしいとも言えるし、
年が離れているからこそこんな話をぼくにもわかるように噛み砕いて、
説得力をもって話してくれたのだとも思う。そうするのが大事とも思っていたのだろう。
そんな人だった。
(以上)