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2001 年 2 月ぶんです。

★ ★ ★

2001/2/28(水)くもり

春一番が吹く。道路工事の看板が倒れたりしていた。
風があたたかいので、セーターいちまいで出掛けたが、少し風邪を引いてしまった。

かつての同僚の死の知らせが届く。まだ若い死。現実感の喪失に襲われ、ちょっと参る。
友人の結婚とかはもう慣れたけど、これから中年期に向かって友人の死にも慣れなければならないのだろう。
かろうじて1日分の仕事を終わらせて帰途に着く。本も読めず、めずらしく車中で音楽を聴く。
こういうときは音楽がいい。助かる。
音楽評論家の人が書いていたが、彼もご両親の死に会った時に音楽の力で癒されたそうだ。
家でもネットも見ず、ビデオも見ないで音楽を聴く。

子供のように人間はなぜ死ぬのか考えてみたりする。
どう受け止められるかわからないが考えたことをかいつまんでみる。
死の原因を分析すると

・病気、事故、殺人の犠牲になるなどの自分以外の目的による死
・自死
・老死

ということになるかと思う。

第1の死を仮に「他死」と呼ぶことにする。
これは、避けようと思えば避けられるものは避けられるが、それはたまたまで、
避けられないものは避けられない。死に至る過程はあまりにも多岐に渡り、対策は困難を極める。
陳腐な言い方だが、生きていること自体稀有な偶然の上に成り立っていると言える。
ということで、この死は不幸な偶然の結果、と思うことにする。

自死はよくわからないのだが、多くの人は経済的理由や、大きな不幸から立ち直れなかったり、
あるいは自分の存在いかんにかかわる問題が解けなくて死んだりしているようだ。
おおざっぱにいうと生に伴う、死んだ方がましと思えるほどの苦痛を終了させるために死んでいるのだろう。
ここで私見だが、人間は多くの場合生に向かう価値観を見出すように努力しながら生きているはずだ。
自死する人は、生の苦痛を凌駕するだけの価値観を見出し得なくて死に至るわけで、
これも結局はたまたまのめぐり合わせとしか思えない。

思ったよりこの文章書くのが苦痛だ。
端折り端折り書いてい、真意が記録されているがわからないが、もう少しがんばって書く。

老死はおおざっぱにいって若い頃はダメージを受けた細胞をどんどん代謝して食べ物から新しい体を
作って生きていくが、老化とともに代謝がスローダウンし、それによって体の老化を新しい体の生産が
追い抜けなくなって死ぬことだと思うのだが間違っているだろうか。
合っていると仮定して、なぜ代謝がスローダウンするかというとホルモンが分泌しなくなるからだ。
(合ってますか?)
で、なぜホルモンが分泌しなくなるかというと、ある程度成長を終わると老化するように
遺伝子がプログラムされているからだろう。これが唯一の死ぬべくして死ぬ死と言えると思う。
で、なぜ死ぬようにプログラムされているかというと、一般に子供より大人の方が食べ物を獲得するのが
うまい。経験を重ね、体が大きくなるほど生存競争で生き残る率が高くなるわけで、
もし際限なく成長し、代謝していたら、老人は際限なく強くなってしまい、新しい世代まで
食べ物が行き渡らなくなって、種として絶滅してしまうからだと以前聞いた。

ということで人間は
・何らかの事情で偶然死ぬか
・死ぬような偶然を避け続けていてもやがては後進に食べ物を譲るために老死する
と言えると思う。

そういえばきんさん・ぎんさんのぎんさんが今日なくなった。
昨年のきんさんの死を納得しないままの死だったそうだ。

もう少し考える。
死に至るような偶然のパターンはあまりにも多岐に渡り、それを努力で防ぐことは難しい。
老死もいつ訪れるかは個人差があり、避け得ない。
ということで、死は避けえず、それ自身には意味がないと考えよう。
生は、死には関係なく、今このとき生きていてよかったと思うような生を生きるしかない。
と書くと快楽原理に従うか、何らかの価値観を創造することを連想し、
非常に人間くさい営為を言っているようだが、動物はとくに物を作ったり、遊んだりしなくても、
「生」そのものを享受しているのでとくに退屈を感じないとものの本にあった。

ぼくもたまにそれに近い感興を持つことがある。ぼくはベッドに横たわって天井を見るのが好きだ。
カーテンの隙間から午前中に自転車や乳母車、通行人の服装の金属部分が反射した光が天井に投射され、
その光がゆっくり移動するのを眺めるのが好きなのだ。
あと、木や建物のようなもっと固定したものが遮ったり、乱反射したりする光が
風で細かく震えたり、太陽の運行(実際には地球の自転)によって移動するのを眺めるのもいい。
休日は6時間ぐらい天井を見ているときがある。
こういう風に書いてしまうとなんか陳腐なことのようだが、人間も動物である以上、
メディアに触れたり、経済を動かしたり、人間関係にかかわったりしなくても、
この世になんらかのめぐり合わせで与えられて維持している「生」そのものを本来は楽しめるはずだと思う。
これは(もっと陳腐になるが)自然の中を一人で散歩しているときも感じる。夕方の街もいい。
ジョギングしたあと休んでいるとき、体の中を小川の流れる音がするような感じがするときがある。
あのときによくこの生そのものの喜びを感じる。

何をいいたいかわからなくなってきたし、そもそも何かをいいたくて書き始めた文だったのかも
自分でわからなくなってきたが、要は生にも死にもそれ自身以外に特別な意味はなく、
人間は生そのものを純粋に享受する能力が備わっているはずだというのが現時点でのぼくの人生観だ。
これが人生観と呼べるのかはおく。

では友人の死がどういう意味を持つかというと、
それはこんな風に死について、生について、義務や権利や快楽や存在を社会に示すことの希求から離れて、
考えるチャンスをくれるということになるのだろうか。
生そのものの喜びに耳を傾けることで、なんとなく今の悲しみを受け入れられ、乗り越えられるように思う。

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2001/2/27(火)晴れ

アル・ヤンコヴィックの「ザ・サーガ・ビギンズ」というベストCDを買ってくる。
標題曲は「アメリカン・パイ」の節にのってスターウォーズのエピソード1をすごい勢いで説明するというもの。
どーやって思いつくんだか。日本版の CD はエクストラ CD でタトーウィン惑星で撮影されたとおぼしき
クリップの MOV ファイルが入ってい、戸田奈津子の字幕も入っている。
このクリップ、例の上映会で英語版を見せてもらっていて、DVD を買おうと思って忘れていたのだった。
他にもナヴァーナをおちょくった Smells Like Nirvana のクリップも見せてもらい、そーとー面白かった。
日本版出ないかな。

ちょっと気になるニュース。Perl 6 は Perl 5 と互換性がなくなるらしい。
OOP がもっとカンタンになるみたい。CPAN 全部捨てるのかしら。それとも上位互換になるのかな。
もっとも cgi.pl が CGI.pm になったように、すぐに移植される可能性が高いのかな。
とすると、永遠に書き掛けの例の本の続編はどうなるのかな。Perl 6 すぐ出ないかな。
Perl の OOP はもっとカンタンになったほうがいいよ。うん。
で、本書くのそれからじゃ駄目かな。誰に向かって書いてるんだか、、。

きんじょの汚い方の古本屋で見つけた筒井康隆「パプリカ」を読む。今更だ。
相変わらず面白いこと容赦ない。久々に物語の語り手としての能力を爆発させた小説。
出だしは端正な都会小説、緊迫した企業小説の趣きでオッと思うが、
精神分析の知識を応用してディック的な世界になだれ込んでいき、気がつけは筒井ワールドに
取り込まれてしまっている。ラストのスペクタクルは爆笑もの。
しかしこの人の本は生活感がない。最近アメリカの警察小説ばかり読んでたからよけい気になる。
やはり演劇的というか脚本的。読者が好きなキャスティング、好きな照明効果で演出することができる。
しかし、なんで「敵」といい「邪眼鳥」といい、小説の趣向とはまったく関係ない喫煙礼賛を挟むのだろう。
これがぼくみたいな嫌煙派からすると大いに興をそがれる。
別に筒井康隆に禁煙を迫る人なんかいないと思うし、もはや筒井康隆に血液型について議論を挑む人もいないと思うけど。
今回も絶世の美女パプリカが煙草を吸う場面があってヤな気持ちになった。

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2001/2/24(土)小雨

昨日、一昨日、一昨昨日(さきおとといと書いて変換。ほんとかこの表記)はすごく暖かかったが、
一転今日は小雨で寒い。三寒四温とか、一雨ごとに暖かくなる季節とかいうニュースの物言いがぴったり当てはまる。
かえりみれば今年の冬は寒かった。暖冬、暖冬と惰性で予想していた予報官は腹を切れ。いや切らなくてもいいけど、
こんなところにも科学関係者の質の低下の影響が?

冬が寒くて冬物が売れて景気が浮揚するかというと、じっさいには冬になってから寒くなったのでは
あまり影響しないそうだ。なんとなく消費者心理として分かるような気がする。
そういえば先日、休憩室でお茶を飲んでいた5人中4人がユニクロの服を着てて驚いた。
年末年始にコートをクリーニングに出して、なる早でといったらあっさり2日で帰ってきて、
年末年始は忙しいんじゃないのとおばちゃんに訊くと、フリースの影響でみんなドライクリーニングの必要な
高価いコートとか着ないから、すごくヒマなのよと言っていた。
ユニクロや book-off の躍進が報道されてるけど、どっちも不景気の影響だろう。なんか牛丼屋も流行ってると聞いた。
book-off は「著者は一銭も儲からない、本をソフトウェアとして考えてその制作費用を投資するという発想のない
タダ乗り産業」という、まあ正論の批判がある。
ただ、ぼくは不景気と安い店流行りって悪いばかりじゃないという気もする。
読まなくなった本を人に売るなんて非常にエコでヘルシーだし、
近所に行くのに着飾ってどうするという考えでチープ シックなユニクロは好ましい。(サイズの問題であまり利用しないが。)
食べ物もしかり。大量生産、大量消費、大量投棄のサイクルから抜け出して、少ない富で心は豊かに、空は青い、
という世の中が実は日本っぽく質素でいいと思う。昭和がヘンだったのよ。

book-mart で買った池波正太郎「スパイ武士道」という本を読む。文庫本一冊だが内容は中篇で、
さすがに文章うまくて一気に読む。公儀隠密という生き方が面白い。外様の大名の臣下として、有事に備えて働いているが、
ココロは幕府にある。で、有事は起きず、やがて隠密に寿命が訪れると、家族にも自らの正体を秘密にしていた中から一人の子供を選んで、
正体を明かし、ミッションをインヘリタンスして(急に英語で書くこともないが ^^;)死ぬ。
この面白い設定が小説全体のテーマにもなっているのだが。最後主人公の行動にどうも感情移入できず、中程度の感動に終わる。
ぼく的にはチャールズ ブロンソンの映画「テレフォン」的な結末が望ましかったのだが。

小説を読んだり映画を見ている最中に結末を予想するクセがあり、予想が外れて、小説としては面白いハズなのに感動しそこねる、
ということが多く困っている。予想が当たったらすごく感動するのだが、小説に感動してるのではなく、たんに予想が当たって
喜んでるだけじゃないかと思ったりして。でもまあ頭の訓練にはなってるのかな、とも思う。
ブレードランナーという映画がそうで、ぼくはずっとデッカーもレプリカントだというオチだと思っていたので、
公開当時は大いに不満だったのだが、10年以上たって公開されたディレクターズ カット版はぼくの予想通りの結末になってたらしく
(未確認)当時やってた 11PM の後番組(なんだっけ)で三宅祐二がそう解説してたときはずいぶんうれしかった。
ま、小説や映画にはそういう楽しみ方もあるのだろう。
しかし、いちばんうれしいのはいい意味で予想を裏切られたとき(「幻の湖」のような、、あれは作者の意図と違うように勝手に
楽しんでいるいわゆるバカ映画だが)と、お約束の結末でちゃんと感動できたとき(「スペース カウボーイ」とか
「ギャラクシー クエスト」とか)だ。と考えると、読者の予想もはねのける感動を作者は演出できるし、すべきだ、とも思う。

別の日に book-mart で買ったジョナサン ケラーマン「クリニック」という本を読む。
小児臨床心理学者が LA 警察殺人課のゲイの刑事との凸凹コンビで事件を解決するシリーズで、これが 10 作目とか。
これがバカ当たりで、ずっとキングの作品などでモヤモヤしてたのが溜飲が下がる大感動。
一人称小説なのだが、ある人の第一印象を語るかわりにその人の服装や顔の造作を描写するところや、
証拠から導き出される自明な結論はびしびし飛ばすところなど、読者を甘やかさないつくりで、
説明が多くてまだるっこしいキングの作品に不満を感じていた自分をひしひし感じる。
途中の探偵の思考過程や電話の受け答えに「何々。」というふうに体言止めが多用されているのも
ドナルド バーセルミやルース レンデルの小説や、赤瀬川源平のエッセイに出てくるナベゾこと渡辺和博の電話などに
似ていてすごく面白い。これは真似したい。
あと、主人公が美しく才能豊かなガールフレンドと暮らす生活をめちゃめちゃエンジョイしてい、
酸鼻の限りの事件に決して精神をおかされないところがすごくクールでハードボイルドである。
「羊たちの沈黙」で研修生のスターリングが卒業の単位が取れるかどうかが後半の大きなサスペンスになってたりするのが、
国民性の違いもあるが(有名な作品だからネタバレもかまわないと思うが、人が生きるか死ぬかの瀬戸際である)
どうも納得できなかったものだが、ケラーマンの作品の場合は探偵のリッチな私生活と事件の悲惨さの対比が
逆にグッと来る効果をあげているから不思議。
が、冷静になって考えると、読者に考えさせながらストーリーを進める趣向が、いちいち先読みしながら読むぼくとかの
趣味を満足させてくれてるから好みに感じるだけかという気もするが。
文庫本だから解説がついてい、この文章が論旨はおおむね賛同できるものの、たった今読んだ作品に比べて
前のあの作品はよかった、この作者もいいけど奥さんはもっといい、とか一生懸命書いていて、
それがまたいちいち「こんなこと書いてたら塩まかれるかもしれないけど」とかわずらわしいエクスキューズのついた、
インターネットとかに見られがちなメソメソした文体で、読後の感動を汚される気がする。
文庫本の解説はそんなことよりももっと、作品/作者のデータや翻訳上のお断り、
文中の文化背景などをしっかり押さえてください。
あと新潮文庫はカバー裏の紹介で大きなオチをバラしてしまうので注意。
とにかくケラーマンの作品は面白い。サイコ サスペンスが好きな人は絶対に読む価値はある。
あとわりと最近重要な作品がぽこぽこ訳されたマーガレット ミラーも、そういえば何冊か読んで、
この人の作品は全部読もうと思ってたのを忘れていた。読まなきゃよまなきゃ。
それにしても俺、「イヤーな本」が好きなのね。(^^; 極北はハイスミス。

3週間ぐらいヴェトナム系アメリカ人のプログラマーの人が会社に来てい、今日帰るので昨日、一昨日と宴会。
一昨日焼肉を食べていたらどうしてもカラオケに行きたい、ぼくのマイケル ジャクソンが見たいというので(^^;
昨日カラオケを企画したのだが、結局彼とぼくとあと女性ひとりの3人会になって(しかも前半は男2人!)
順番が回ってきてまわってきて死ぬかと思った。歌ったのは
BoyzIIMen "End of the Road"
Queen "Somebody to Love(愛にすべてを)"(これゼッタイ盛り上がるのでおすすめ)
Led Zeppelin "Whole Lotta Love(胸いっぱいの愛を)"(途中のインスト部が全部あるカラオケでびっくり)
Cheap Trick "I want you to want me(甘い罠)"
Yes "Owner of the Lonely Heart"
Queen "Somebody to Love"(気に入ったらしい)
Queen "Killer Queen"
Guns'n'Roses "You could be mine"
石野真子「日曜日はストレンジャー」
南沙織「ともだち」(オケがぜんぜん雰囲気なーい!)
おじゃる丸挿入歌「プリン賛歌」
郷ひろみ「恋の弱み」(これもオケがひどーい)
Allanis Morisette "You Oughta Know"(げんざいカラオケボックスにある歌のなかで一番難しいのでは。楽しいー)
Micheal Jackson "BAD"(これは歌いやすい)
もっと歌ったはずだけど忘れた。っていうかバカじゃねえの。(^^; まだ喉がいたいー。
聴くのはもっぱらソウルでも、歌うのはロックが楽しいらしいですよ。

さいきん入った会社の人たちになつかれてい、いろいろ教えたりツールを作ったりして楽しいし
こっちも勉強になるが、コンピューター サイエンスの知識いぜんに、最近のコは質問や注文のしかたが
要領悪いのに驚く。(^^;
要領のいい質問/注文のしかたを教えたり、逆に要領のいい質問/注文の受け方を考えるのは
価値のある研究課題だろう、などといいふりこいたことをおうちで日記書いてるときは考えるのだが、
これが現場の限られた時間はなかなかそこまで余裕なくってさあ。

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2001/2/21(水)晴れ

そろそろ春の予感。風が強い。

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宗 左近先生の続報。

習志野台第二小学校校歌 〜青空〜 

というのもあった。だいたい千葉を中心に被害が多いようだ。被害っていうな。
だけどこの歌なんかは小学生が喜んで歌うかも。西瓜の種。

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森首相がそろそろやめるようだ。さいきん森さんの暴言失言集というのをテレビでやっていたが、
いちばん問題だと思うAPECだかどこだかの
「(電気も通ってない地域にIT革命もないだろう、という問いに対して)
 電気がなくても携帯を使えばインターネットできる」
と言ったいわゆる「森ー・アントワネット発言」がなかった。

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2001/2/20(火)晴れ

さいきんネットで話題の、宗 左近先生の詩の世界をまとめてみた。
だいたいマトモな順番に並べてある。

幕張西高校校歌 〜透明に〜
東京電機大学中学高等学校校歌 〜風よ光よ〜
福島県立清陵情報高等学校校歌 〜宇宙の奥の宇宙まで〜
市川市政65周年記念 市川賛歌 〜透明の芯の芯〜 

探せばもっとあると思うが、それにしてもすごい。
高校時代合唱部(音楽部)にいたので知っているのだが、大体コンクールに掛かるような現代曲はこんな調子。
有名な「チコタン」(2ちゃんねるの過去ログ http://www.jona.or.jp/~epic/gekkan/oct99/index.html に全歌詞あり。
ちなみに作詞は蓬莱泰三)もすごいけど「散る、散る散る、散る散る舞い落ちる舞い落ちる舞い落ちる、、花が散る! 花が散る!
光と影が入り乱れて!」とかいうのもすごかった。合唱の練習してるようなやつなんて数年後に受験控えているだろうに、
配慮はないのか。あと、ダムをテーマにした歌で「(男子)電気ー電気ー電気ー電気ー(女子)はつでんー」というのもあった。

こういうことを書くとつまらなくなってしまうが、要するにクリエーターの世界の場合「すでにあるものをなぞれない」という
宿命があるために、どんどんヘンになってしまうのだろう。ウルトラマンの怪獣も、昔はテレビ見たらすぐに描けたんだけど、
さいきんの怪獣はすぐに描けない、と唐沢なをきさんの「怪獣王」にあったが、一昨年国民的なヒットになった
宇多田ヒカルの「オートマティック」をすぐに歌える人がいるだろうか。ちあきなおみの「喝采」が流行った当時は、
歌えない人はまずいなかった。それだけ難しくなっているのだ。(去年流行った「TSUNAMI」という歌はそういう意味で例外的)
こうやって芸術がどんどん市民と乖離していくわけで(なんかもっともらしいことゆうとるぞ)これは宿命とはいえ
マズいのではないが。しかし合唱曲の歌詞はちょっと突出してヘンだ。(あと公共の文化施設のデザインもヘン)
左近先生の作品のばあい、ちゃんと「校歌」「市の賛歌」として機能してるところがいわゆる「VOW物件」としてポイント高い。
校名とか入ってるもんな。市川。垂直が世界。どんなとこなんだ。

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きょうのニュースのことば。「代理によるミュンヒハウゼン症候群」。
娘に喘息の薬をお茶に混ぜて殺しかけた准看護婦の母親は、数年前にやはり子供を相次いで亡くしていた、という事件。
ミュンヒハウゼンは童話「ほらふき男爵」のモデルにもなった実在の人物で、「ミュンヒハウゼン症候群」は
仮病によって同情を引こうとする情緒障害。それに対して「代理による、、」は、子供などを病気にして
悲劇の母親を演じることで周囲の同情を引こうとする情緒障害らしい。いわゆる看護婦による死の天使事件も、
これが原因のことが多いとか。

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2001/2/19(月)晴れ

また 10 日ぶり日記。

2月10日、ハワイで愛媛の水産高校の実習船が、急速浮上した米海軍の原潜にぶつけられて3分で沈没、
9人が行方不明という最悪の事故が起こった。
原潜は民間人が乗った体験ツアーの最中で、急速浮上はスリルを味わわせるためのデモ、
レバーも民間人が引いたという。
このツアーを企画したのはかつて沖縄の少女レイプ事件で「レンタカーを借りてレイプしにいく金があるなら
その金で安い女が買えるだろう」と発言した将校だそうだ。
なぜこんなデモツアーが必要かというと、冷戦後に削減されそうな軍予算をより多く獲得するためだそうだ。

前後して大分県由布院の日出台(ひじょうだい)で米軍が住民の反対を押し切って実弾による射撃訓練を
行なっていたが、このときもデモで一般市民に大砲を打たせたりしてたという。

1月には沖縄では海兵隊隊員が放火事件を起こし、逮捕状が出るも米軍は引渡しを拒否していた。
沖縄の海兵隊ってなんでこんなに事件ばかり起こすのだろう。本国でも事件ばっかり起こすような奴を
雇用対策で兵隊にしたてて輸出してるんじゃないだろうか。

こうしてみると、アメリカの軍って悪名高い日本の公共事業と同じだ。予算を獲得し、雇用を確保するために
自然を破壊している。もっと悪いのはおびただしい無辜の民が死ぬ、ということだ。

昨日ブッシュ(2代目)は思い立ったようにバグダッドを空爆した。以前はモニカ・ルインスキー問題で
クリントンが空爆を行なったが、今回も明らかに原潜事故から目をそらすためである、とメディアは報道している。
つまり、目的は失敗しているわけだ。それで死ぬイラクの無辜の民も迷惑な話だ。

そういえば1999年に空爆が多かったのは爆弾が2000年問題に対応している確証が持てなかったからだと
聞いたけどホントか。

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1月に東京マガジンでやっていた別府競輪が場外車券売り場を日田市にゴリ押ししていた問題で、
別府市議会の自民党員の一部(3人、長老クラスだとか)が反対側に転じたために予算が下りず、
場外車券売り場は立たない公算が高くなってきた。
まずはめでたい。だけど結果的にテレビ番組1個で公共事業がつぶれたわけで、まあ別府のやり方が
まずすぎたんだけど、ちょっとすごい。

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F・ポール・ウィルソン「触手(タッチ)」(早川文庫、上下巻)を読了。
この人は映画化された「ザ・キープ」の人で、医者兼SF作家兼ホラー作家。
ある医師が、不治の病の人を触れるだけで癒す能力を手に入れてしまい、その能力をめぐって
騒動が起こり、、という話。筋立てに意外性はないが、ぐいぐい読ませ、泣いてしまう。
人間の善悪を深く考えているので、単純に憎むべき人というのが出てこない。
それだけに、エゴイストになる人間の悲しさ、怖さが描かれている。佳品。

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NNNドキュメント'01 で、多重人格少女ヒロの数年間の記録。
固唾を飲んで見てしまう。最初健気に姉のヒロを支えていた妹が
(自殺も考えたけど、ヒロちゃんひとり残していけない、と思ってやめた、と語っていた)
多重人格になってしまい、二人とも幼児になって母親を取り合う。
どんなホラー映画よりも、こういってはなんだが面白い。
が、週刊文春でナンシー関さんが「本当かよう、と思ってしまう」「FACE(日テレの多重人格を扱ったドラマ)の
番宣じゃねえのか、と思う」と勇気のある発言をしていて、おおと思った。
しかし、ぼくは、少なくともヤラセではないと思う。分裂した人格がいわゆるアニメキャラみたいなこととか、
自分の症状を正気になったときのヒロが語るところとか、くわしく言えないが、過去出会った人との会話を
通じて、いろいろ思い当たることがあるからだ。もっとも薄弱な根拠に過ぎないが。
いずれにしても、たしかに面白くしようという意図が前面に出たつくりで、その点は確かに疑問が残る。

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フジテレビで麻雀実況番組「われめDEポン」を不定期にやっているが、
その戦いのベストをまとめたDVDを購入する。
寝ながらだらだら見ているが、これが面白い。4人の手牌を見比べられるので、
運命のあやが見られてのめりこんでしまう。

で昨日、また大学時代の友人と麻雀。今回はマンガ家になった後輩の女性も加えて5人大会。
トップ、飛び、トップ、トップ、トップ、ラスで「風速0.5」でプラス120。
やはり DVD がイメトレになっているのだろうか。

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会社で Perl 相談の掲示板を立ち上げた。さいきん入った新入社員が Perl にハマっていて、
相談に乗る内容をロギングしていく。これが面白い。まとまったら本にできないかな。

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2001/2/9(金)くもり

がーんショックなぐらい空いて 10 日ぶり日記。
結構細かいこといろいろ思いついて、書こうと思ったんだけど忘れている。

ノートとか PDA とかを持ち歩くといいのかもしれないが、いまいちいいのがない。
メインノートのレッツノートは、満を持して復活したトラックボール版だが、
ベッドサイドネット機になってしまった。重さが半端で持ち歩かない気がするし、
どうも昔のようにノートでばりばり文章を書くパワーがなくなっている。
カシオの FIVA というのが好きなんだけど、
出てもうだいぶたつし、、。ソニーの目玉バイオもソッコーで飽きて売っちゃって、
いま売った相手はスペインにいる。元気かな。
今は人のものといえば HP-200LX というプログラム電卓(中身は PC-XT 互換)というヘンなのを
持っていたが、これもメールで間違いをいっぱい発見してくださった方に譲ってしまい、
現在はその方の後輩が持っているようだ。
あと、今や希少品の Mobile Gear MK シリーズ(DOS 版)というのを持ってい、
これに PocketBSD を入れて遊んでいたが、やはり限界が(ぼくには)あって本棚に置いてある。
やっぱり最低 800x600 でカラーのパソコンで、600g ぐらいのが欲しいらしい。
また買おうかなー。買ってしばらくは楽しいんだよなあ。
でも飽きたらもったいないし。どうせ飽きるし。

ノートといえば、先々週に液晶が割れてしまった。ノートの液晶を割ったのはこれが2回目。
1回目は確かな手ごたえがあったのだが(枕もとに置いてて踏んでしまった。踏むなよ)
今回はどういうキッカケかわからないが左端中央部から画面の中心に掛けてピシッと亀裂が。
起動してみると見事に全体が見えない。TFTのくせに。(そういう問題じゃないのか)
秋葉のサポセンに持ち込むと、1週間で復帰。中のデータはそのまま修理だったので一安心だが、
ここに書きたくないぐらいのお金を取られた。

週刊文春に先崎学さんという将棋の棋士の方がコラムを書いてい、愛読している。
加藤一二三(ひふみ)九段のことを将棋の初心者は加藤ハジメ二百三十九段と読む、とあって
車中で爆笑しそうになる。
将棋、碁、競馬、証券、いずれもぜんぜん門外漢なのだが、なんかテレビでやってると
ぼんやり見るクセがある。ルールもなにもわからないで見ていると、専門用語の応酬がなんか
遊んでるみたいで面白い。「コアキナイが、、」とか「大引けで落ち着いた展開、、」とか(これは証券)
「ここでコスミツケルのも面白いかな」(これは囲碁)とか。

先週の土曜日、ギャラクシークエストという映画を見る。
これが胸のすく快作。必見。東京では渋谷のシネクイントというところで単館でやってるが、
単館でやる内容じゃない。いちおうスタートレックのパロディをやってるうちに、
まっとうなスペースオペラになってしまった、という作品ですが、どんな方も楽しめます。
すし詰めの館内が最後は割れんばかりの拍手、拍手。こんなのひさしぶり。

本はローズ・マダーを読了する。
サイコホラー、ファンタジー、ロマンスものとしておのおの1冊の本になりそうな話を、
1冊にシームレスにまとめ、相互が影響を及ぼしながら収斂していく手法や、
ファンタジー世界の秩序/論理の精緻さ(これがないとファンタジーはつまらない)と
それが現実の隠喩として効いてくる部分など、エンターテインメントも文学も越えた
傑作の1冊、と言えるが、ぼくはおなかいっぱいにはなるものの双手を挙げて大絶賛、
というほど好きにはならなかった。
もっとも、悪役の暴力警官(またも)が、悪に転じた通奏低音として子供の頃の
虐待が匂わされていることが、重層的な効果をあげているのに感心する。
ちなみに現在のところでのぼくの怖い本ベスト。
●ゴールデンボーイ/スティーヴン・キング
●プードルの身代金/パトリシア・ハイスミス
●イーディスの日記/パトリシア・ハイスミス(ハイスミスの本はどれも好きだが怖さではこの2冊か)
●背徳の仮面/ジョン・コーリー
●シンプル・プラン/スコット・スミス(どれか1冊、ということならこれだろう)
●レッド・ドラゴン/トマス・ハリス(ハリスはこれがいちばん怖い。途中めちゃくちゃ怖い場面がある)
こうやって考えるとやっぱサイコパスもので、登場人物がそれなりにインテリなのだが、
つまらない衝動でどんどん深みにはまっていくものが好きなようだ。

近所の古本屋さん、もう読みたい本がつきてしまった。
それでも惰性でまあ読みそうな本を買うが納得いかず、反動で新刊書店で何冊か買ってしまい、
結局節約にならない。自由が丘にでも出ればもう少し古本で読める本が集まるのかもしれないが、
本はふらっと立ち寄って買いたいほうなので。
もっとでかい book-off ができないかなあ。こういうとこが現在住んでるところの不満点。

日航機ニアミス、管制官(新人の男と指導教官の女)が言い争いをしていて指示ミスをしていた
という説が。こわいー。こわすぎる。

(以上)