日々叢書(この著者ちょこちょこ昔の文章直します。スイマセン)

キース・エマーソン来日

ELPことエマーソン、レイク&パーマーといえば、プログレッシヴ・ロックを代表するバンドの1つとしてわれわれ世代には懐かしいものです。キーボード、ベース、ドラムのスリーピースで、たった3人で驚くほど複雑な曲を演奏します。

キーボードはキース・エマーソンで、ロックの他にクラシックの素養がある人で、先ほど亡くなったロバート・ムーグ博士の開発したムーグ・シンセサイザー(昔はモーグと言っていた)のテストプレイヤーもつとめていた。ちなみに当時のシンセサイザーはタンスと言われるぐらい大きかったという。

http://www.nowonmedia.com/MOOG/img/photo/cap030.jpg

ベース&ヴォーカルはグレッグ・レイクで、キング・クリムゾンの初代ベース兼ヴォーカリスト。非常にロマンチックな歌い方をする人で、クリムゾンから作詞家のピート・シンフィールドを引っ張ってきた功績も大きかった。ちなみにギターはクリムゾンのロバート・フリップと一緒に学んだというぐらいだから相当うまいらしい。

ドラマーはカール・パーマーで、叩いてるうちにドラムが回りだすので有名。この人、よくリズムが悪いと言われるんだけど、純粋なロックドラムというよりクラシックのパーカッションも入っていて、そういう意味で独特なリズム感があるんじゃないでしょうか。ちなみにこの人空手をやっていて、ぼく故郷が大分県別府市なんですが、そこの道場に来るためにたまに別府に来たといううわさがあった。ほんとかな。

実際にはぼくなんかよりもう少し上の世代が直撃。最初はジャパンとかクイーンと一緒で顔がいいので女子に人気があったそうで、3人をモデルにした少女マンガが出たぐらい。



とにかくライヴが盛り上がったりするので有名で、キースはピアノの弦を掻き鳴らしたり(現代音楽でもよくありますが)、ハモンドを倒したり、ナイフを突き刺したり、いろいろする。一番人気があった頃は後楽園球場でコンサートやったっていうから、ものすごい人気だったんですよ。

キースはクラシックやジャズの名曲を微妙に自分の曲に織り交ぜるという特技があって、ムソルグスキーの『展覧会の絵』を丸々1枚ロックにして、ライヴ・アルバムでそのまま出すという荒技もやっていた。



これ、映像もあって、今ではDVDも出てるんだけど、これがNHKの『ヤング・ミュージック・ショー』という番組でよく掛かっていた。これがぼくが小学生ぐらい。小学生の目にも演奏の様子が面白くて印象に残っています。



さて、前置きが長くなったんですけど、このキース・エマーソンが久しぶりに(前にいつ来たのか知らないけど)来日しました。

まず、タワー・レコードの渋谷店の地下でライヴ&トーク イヴェントというのがありました。CDを買うと入場整理券が買えるという話で・・・まあレコードで持ってるのをいつかCDで買いなおそうと思ってたんで、ぼくは友達のぶんと2枚券を貰うためにCDを2枚買いました。



まずこれが『タルカス』っていうんですけど、アルマジロの下に戦車がついたような、ウルトラセブンに出そうな怪獣が世界を蹂躙していくという組曲(LP片面ぶんですから20分ですね)を中心にしたアルバム。

今回CDが紙ジャケになっていて、オビの書き文字が東宝特撮風なのがなかなかぼくら世代狙い撃ちな感じ。狙われ撃たれちゃいました。



そしてこれが『恐怖の頭脳改革』。すごい題名だけど原題は「Brain Salad Surjury(脳みそサラダの外科手術)」。
ちなみに別のアルバムに「Brain Salad Surjury」という曲も入ってて「♪のうみそサラダのげかしゅじゅつ〜」という歌詞をつけて遊んでいたけど続き忘れた。ちなみに当時はフュージョンとかプログレにそういう変に大げさな題名を付けるのが流行っていた。

このページを見てELPに興味を持った方、最初はこのアルバムがおすすめかも。ジャケットは見たまま、H・R・ギーガー作だ! 観音開きで続き絵になってるんですが、そのLPジャケットが今回復刻されました。まあCDサイズで往時の迫力はないんだけど心意気がうれしいじゃないか。
中に非常に「宇宙戦艦ヤマト」の音楽に似た部分があると言われていて、そういう血湧き肉踊る音楽です。



ということで、2枚アルバムを買ったのが10月10日。

明けた11日、タワレコ渋谷店の地下の変な空間でキースのイベントがありました。100人ぐらいいるわいるわ40オヤジの群れ。

皮ジャンを来た、意外とガタイのいい外人の男の人がふらふらと出てきて、濃いグラサンを掛けていて、それがキースでした。
「時差ボケなんだよー」と言いながらキーボードの前に。

コルグのオアシスという製品だそうで、キーボードからノートパソコンのフタが生えてきたようなもので、いかにもキースが叩き壊しそうだったけどそんなことはなかった。

http://www.korg.co.jp/Product/Synthesizer/OASYS/

で、いきなりピアノ音で「タルカス」をソロピアノでぶちかましました。
一気に引きずり込まれる・・・ピアノが1ミリも弾けない俺でもものすごくうまいと分かります。
ああたまらん。
引き続いてケイジャン・アレイという曲(曲名からいうとテックスメックス風??? ラグタイム風の曲)を演奏しました。

以下トーク。聞き役はキーボードマガジンかなんかの編集長だかなんかの人(ヒドい・・・)。あと通訳が女の人だったんだけど、戸田奈津子なんかより全然話の内容が分かっていてユーモアもある人でよかった。

内容は以下の通り。

「カール・パーマーがQANGOというバンドでジョン・ウェットンとイギリスでやっていた。俺はカールがチケットをくれないと思ったので、自分の金でチケットを買ってみた。
 バンドはELPの曲を何曲もやったが俺は楽しんだ。しかしアンコールで『庶民のファンファーレ』をやろうとしていたからさすがに乱入して弾いてやった。
 ドラムソロを終わるとき、キーボードの椅子に俺を見出したカールの口をあんぐり空けた顔といったら、お前らに見せてやりたかったよ。
 俺が弾いたらキーボードは壊れたけど、QANGOのキーボード奏者は感動していたぜ」

「(カリフォルニアジャムのビデオを見ながら)俺はこのとき回転ピアノというのをやっていたんだ。
 最終的には花火を上げながら、当初の何倍ものスピードで回ったんだ。
 デザイナーは限界だと思ったらすぐストップと言えといっていたが、俺は何回もストップといったんだが俺の首は遠心力で反り返っていたし、
 俺の声はドップラー効果で「すとおっぷっぷっぷ・・・」「すとおっぷっぷっぷ・・・」という風になってたから誰も聞いてはくれなく、俺は地獄のような演奏を何十分も続けたんだ。
 誰かがやっと回転を止めたら俺は反動でムチ打ちになって鍵盤に頭をぶつけるし、鼻血は噴出すし、指は鍵盤に挟まっていた」

「こないだ俺は自分のヒーローの1人デイヴ・ブルーベック(ジャズピアノの巨人。『トルコ風ブルーロンド(ロンド)』の作曲者)と会って握手をしたが、そのときになってもまだデイヴのような人に『キース、お前はまだピアノを回転させているのか、あれは危険だからやめたほうがいい』といわれて驚いたのさ」

「(同じビデオを見ながら)なんだこの俺の服は。変わっててカッコいいなあ。女の子のドレスみたいだな」

「60年代俺がなぜギタリストを入れなかったかというと、当時のギタリストはみなマーシャルの10まであるボリュームを11まで回すようなやつらで、とてもうるさいので自分の音が聞こえなくなるんだ」

「グレッグ・レイクはすごくいいベーシスト/ヴォーカリストだが、ボーナスとしてギターも弾けたので、どうしてもギターが欲しいときは俺が左手でベースラインを弾けば彼がギターを弾けたのさ。
 60年代というのは3人構成のバンドがうまくいく時期で、俺は不満を感じたことはなかった。
 ただ60年代の末に一度だけ、あるギタリストと一緒にやりたかったことがある・・・それはスティーヴ・ハウだ。彼はイエスを離れられなかったのさ」

「今のバンドはQANGOのギタリストが入っている。愉快なやつらで、ツアーはすごく楽しいよ。
 ベースのやつがすごく面白い奴で、楽屋でずっとヴィデオを回している。
 こないだ考えたのは、マッサージ台のヨコにカーテンを引いて、寝ている奴の尻からヤカンや、他にいろんなものが出てくるように見えるって奴だ。ハッハッハ! 面白くなかったかい。俺は自分では面白いと思ったんだが」

こんな感じでした ;;;
正直開始前はトークって何しゃべるんだって思ってましたが、思ったより気さくな方で(そういう表現でいいのか・・・)すごく楽しめました。



そして翌週の日曜、10月16日、新宿厚生年金でライヴ。
フツーに平常心でチケットを買うと最後列だったんですが、それでも横浜アリーナの最前列とかより見やすいですね。
しかし、いるわいるわ40男の群れ・・・。
ブライアン・ウィルソンもすごかったけど今回はもっとすごかった。
ジョー・ザヴィヌルはまだクラビーな若者が多かった。

音楽の内容はウルトラマン・マックス的な・・・お父さんのためのロック大会というか、お前らこういうのが好きなんだろ的な内容で、当然ぼくはものすごく楽しめました。

途中、「ハリケーンの被害者に捧げる」とかいって、さっき作ったという美しいピアノソロ曲を弾いたんだけど「ところで、さっき地震があったんだけど(公演直前)あれぐらいは東京では当たり前のことなのか?」 とまじめに聞いてました。

メンバー紹介で、今回の目玉、ギタリストのデイヴ・キルミンスターのときデイヴが「♪ティントンタンティンティントンタンティン・・・」と「天国への階段」のイントロを引き、キースに「ああ、もういいから」と制されるというギャグがありました。
そういや、昔「ウェインズワールド」かなんかで(このへんあまり詳しくないんですが)ロック好きの人がギター屋に来て試し引きをするときに「♪ティントンタンティンティントンタンティン・・・」とやると、店の親父が飛んできて「ウチの店ではソレは禁止だ!」と制するというネタがあったそうです。

その後「ボブ(ムーグ博士)に捧げる」といってELPのファーストアルバムから「ラッキー・マン」という曲を演奏しました。
この曲はグレッグ・レイク作の非常に悲しげなバラード。ELPといえばエマーソン作の血湧き肉踊る曲とレイク作のバラードが好対照なんだけど、特にこの曲なんかはキースはあまり好きじゃなかったんじゃないか。でも曲調と「なんて彼は幸運な男だったのだろう」という歌詞が追悼ということだったのだろうか。ラストにレコード通りブニューというムーグの音が取ってつけたように鳴り響くのもなかなか追悼らしくてよかった。

その後「コージー・パウエルに捧げる」といって「タッチ・アンド・ゴー」という曲を演奏しました。
コージーは昔ジェフ・ベック・グループ第2期にいた人で、 その後ディープ・パープルのギタリスト、リッチー・ブラックモアと一緒に「レインボウ」というバンドをやっていました。
ELPはカール・パーマーが一時脱退してた頃にコージーを入れて「エマーソン・レイク・アンド・パウエル」として活動していました。
(アブリヴィエーションは同じELPなんだけど、カールの反対でそうは名乗れなかったらしい)
コージーはレインボウ時代もチャイコフスキーの「1812年」に合わせてドラムを叩いたりして、そういえばELPとやることが結構似ている。

その後「レナード・バーンスタインに捧げる」といって「アメリカ」(ウェストサイド物語の曲)を演奏しました。
しかし、よく捧げるな!
ロックの歴史も、長くなるとこういうことがあるのかなあ。いろいろ考えました。

デイヴが途中で、たぶんグレッグ・レイクへのリスペクトで自分のソロのときにキング・クリムゾンの有名な曲「エピタフ」の一節
「Confusion will be my epitaph...」
と歌ったんだけど、そのときキース・エマーソンが横で
「Oh, I hate that!」
と言ったのが笑いました。

デイヴ・キルミンスターという人は他にも、なんかレッド・ツェッペリンが好きらしくて、アンコールの1曲目でなんと「ブラック・ドッグ」を全曲演奏した。
このときはキースもノリノリ。信じられない光景だ・・・。たとえて言うなら沢田研二がバックバンドの要求に応えて郷ひろみの曲をノリノリで歌うようなものだ。 たとえて言わないほうがよかったかな ;;;

ということで、少しもプログレッシヴ(進歩的)ではなかったのですが、すごくエンターテインされた一夜でした。
でもオルガンに馬乗りになったり、ピアノが回転したりというのはなかった。
トシだからなー?

トシといえば、一緒に言った人が楽器が出来る人で、
「昔B♭だった曲をCにしてやってる。指使いが衰えたからじゃないだろうか」
とか言ってた。
「そんなの、キーボード側で調整すればいいのに」
といったら、あれぐらいの人は絶対音感があるからズラすと気持ち悪くて演奏できなくなるそうだ。
へぇ〜〜〜

(終わり)

Last Update : 2005/12/13 00:38