日々叢書(この著者ちょこちょこ昔の文章直します。スイマセン)

専門家の弊害とセカンドオピニオン

※12/09 にちょっとだいぶ書き換えました。

「噂の東京マガジン」というテレビ番組の「噂の現場」というコーナーをよく見ます。
基本的に住民対業者、住民対行政、住民対住民の問題をとりあげて
日本の問題を俯瞰しようという趣旨のものです。
まあ判官ほうがんびいきと争い好きという傾向はあるんですが、
それはチェック機関としてのマスコミの基本属性なのかなという気もします。

この番組に非常に注目したのはマンション住民の修理トラブルのケースです。
ある大手建設会社(デヴェロッパー、という言い方をするそうですが)が立てたマンションが
某所にあって、管理費の他に高額の修理積立金を取られている、
ある日月々の積立金の他に高額な一時金を取られることになって(? このへん記憶があいまい)
転売や又貸しを望む住民(住んでない場合もあるんですが)は
資産価値を高めるため工事を推進したい、
自分で住んでついの棲家にしたい住民は
少々の見栄えの問題ならお金の掛かる工事なんか止めて欲しいというわけで、
同じマンションの住民間の争いになっている、さてどうしようか、という回がありました。

で、このテレビのすごいのは、こないだ取り上げたこの問題はその後どうなったか、
というのをやるんですが、
なんと同じデヴェロッパーが建てた別のマンションが隣の隣の県にあり、
そこにはたまたま一級建築士が済んでたので修理計画が出たとき独自の試算を行い、
月々の積み立てで十分お釣りが来ることがわかった、
よくよく調べると初期の修理計画を出したのもデヴェロッパーと同じ系列の会社で
(入居時の価格を安く抑えて住民を集め、修理で儲けるという面もあるらしい?)
住民組合にもデヴェロッパー系の人間が多数入っていたが、
後者のマンションでは激怒した住民が自主組合を結成して積立金の通帳を奪い取った、
という話になりました。

これ、記憶にさだかでなくて申し訳ないんですが、揉めてる前者のマンションの回が放映されて、
それを見た後者のマンションの人が、
ウチ同じ系列だけど一級建築士さんがたまたま住んでて解決しましたよ、
とテレビ局に通報したんで2回目が実現した、という話だったと思います。
最後に「別に一級建築士さんが住んでなくても、一級建築士さんを一日拘束して
見積もり計画の妥当性をチェックしてもらうだけなら数万円で住むので、
セカンド・オピニオンを求めるのはどんな場合でも有効ですよ」という非常に合理的な結論が導かれてい、
マスコミが実際に世の中の役に立つこともあるんだなあ、
と、非常に晴れやかな気持ちになりました。

結構昔の話なんですが、なぜ急に思い出したかというと、
最近 MSN.co.jp(結構コントラヴァーシャルな記事や広告が多いのでそのうち問題視しますが)の
「ファイナンシャルプランナー」の提言で、こんな話があったからです。

あるサラリーマンの親が急病になって、手術、入院ということになり、
安からぬ医療費を肩代わりしたが、
よくよくレセプト(医療費の領収書をなぜかこう呼ぶ)を調べてみると、
差額ベッド代が取られていることが分かった。
しかし、そのケースでは差額ベッドに寝たのはプライヴァシーが欲しくて
患者が自分が言い出したのではなく
酸素吸入や心電図、ドレン(drain 排泄管)の設備のため、必要に迫られて
病院側が当然のように行ったものであったのだが、ここであっと驚きなされ、
こういう場合は差額ベッド代は取ってはいけないと法律で定められて
いるそうです。その旨を衝くと病院側はあっさり折れ、差額ベッド代を返金したそうです。

でも、この話すごくないですか。これ(原記事にもありましたが)
ファイナンシャルプランナーが教えるちょっと役立つ節約のチエというよりは、
続発している大病院の社会犯罪にメスを入れるという話で、
当然行政や司法が動いて病院を監視すべき話ですよね。

どうでしょう、この2ケース。
専門家は市民にその専門的技芸で奉仕するのが使命だと、
これは誰でもそう思うと思うんですが、
この2ケースは専門性をタテに良民を食い物にしていると
言われても仕方ないと思います。
もっとコワいのが、この2ケースは多分キツめに追い込まれたので
(払いたくないなあと思うに十分なお金を請求されたので)
反撃を喚起して無法な専門家を市民が撃退できたという話ですが、
もし相手がマイルドな悪人だったら、ちょっと高いなあと思いながらも
(相手は住民組合と医者ですからね)
しょうがないかなあと思って支払っている、
そういうケースが実際には結構あるんじゃないですか?
知能犯の泥棒は被害に気づかない程度の金額を盗んでいくそうですが、
そういう被害にあってるケースはあると思います。
よく「節税」や「料金の節約」が伊東家の食卓的な文脈的で話題になって、
ぼくは(自分が苦手なこともあって)ああいうのに血道を上げるのもどうかなと思っているんですが、
不法/合法のグレーゾーンで払わなくてもいい料金を要求され、
うっかり払ってる人多いと思うし、自分もそうである可能性が高いと思います。

なぜ人間が市民社会を築くかというと、専門化と分業のためですよね。
人がそれぞれ得意分野を極めてそれぞれの力を持ち寄ることで、
それぞれの人間が一芸に秀でさえすれば社会全体としては全員の能力を全員の利得とし、
1個の能力を供給することで無数の能力の成果を利用することができる、
ということだと思っていましたが、
上の2ケースは専門化がその専門性をタテに無知な良民を食い物にし、
その結果市民は自らの財産を守るためにあらゆる専門知識に精通、はしなくても、
少なくとも半可通にはなってないとアブない、油断大敵、という話です。
これでは社会の意義がありませんし、市民の活力が大きく横道に殺がれてしまいます。

筑紫哲也氏はニュースで「学者の弊害」ということをおっしゃっていました。
要は公共工事などでゼネコンにゴーを出すためのアセスメントが、
学者によって箔付けされ、正当化されている、そのための学者なら、無益なばかりか
むしろ有害である、という文脈です。では市民の側はどう対処するかというと、
市民運動を立ち上げて別の学者を雇うことになりますが、よく考えたら公共工事を
発注してるのは税金を遣っている行政なので、行政に異を唱える住民は
税金は取られるは市民運動に時間と金を取られるはで、踏んだり蹴ったりです。
そもそもそういう不安から身を守ってもらうために、安からぬ税金を払ってるわけです。
市民運動は行政のチェック機関として働いてくれているんだから、
なんらかの補助を受けたり税制上の優遇措置を受けたりしてもいいのでは、
という発想がここから出てきますが、そうすると市民運動が儲かる、ということになって、
儲けるために火のないところに煙を出す不逞の輩が出ないとも限りません。
書いてて我ながら人間不信で情けない気もします。
もともと行政を信じられる社会、
市民運動や監視し合いの必要のない社会が一番いいわけですよね。
(でもそれは野放図な性善説で幼稚な議論という気も自分でしますが)

自己防衛のために専門外のことを勉強することが、
必ずしも時間や金を「取られる」ばかりでなく、
自らの見聞を深め、それが本業にプラスに働く局面もあろうかと思うので、
不幸なばかりでもないとも思いますが、
上の2ケースはちょっと極端で「気をつけましょう」という他に
腹が立つし、やりきれない思いが残り、こういう腹立ちや無力感が、
今社会の力を殺いでいる原因ではとも思います。

ま、話を大きくしすぎ、深刻にしすぎたキライはありますが、
少なくとも大きな金額を扱う専門家で、やり直しが聞かないもの
(ぶっちゃけ医療と住宅)
は別の専門家を雇ってセカンド・オピニオン(と言うそうですね)を
仰ぐのがイチバンですね。
自衛が大事。

Last Update : 2003/12/08 07:57