日々叢書(この著者ちょこちょこ昔の文章直します。スイマセン)

邦題いいたい放題

Finding Nimo という映画がもうすぐ来ますが、
邦題がそのまま「ファインディング・ニモ」ということで、
いかにも生硬な感じがし、子供映画としては興行成績に影響を与えるのではないかと
ひとごとながら心配です。
これ、普通に「ニモを探して」とかではダメなんでしょうか。

このような、どうかと思う英語そのまま表記というのは、
「レイズ・ザ・タイタニック」が有名です。
この映画の場合、原作小説の方の邦題が「タイタニックを引き揚げろ」という秀逸な題名だったこともあって
結構映画の邦題の批判がありました。
さいきんの例としては「ホワット・ライズ・ビニース」というのがあります。
これなどは beneath というなじみのない単語と、
ライズというカタカナでは lies だか rise だかわからないということがあって、
非常に興行成績に影響したと思います。
直訳すると「下に横たわる何か」ですが、「床下に何かが」とかではどうでしょう。古いかな。

その一方で「なぜこんな半端な邦題を?」というのがあります。
「Gorrilas in the Mist」(霧の中のゴリラ)は「愛は霧の中に」ですが、
この「愛は〜の中に」のパターンは他に
「Children Of A Lesser God」が「愛は静けさの中に」があります。
これなど「小さき神の子ら」が舞台劇の題名としてあったわけで、
なぜこんな半端な邦題をつけたのか舞台裏を知りたいと思います。
この2つはよくどっちがどっちか混乱します。

ロブ・ライナー一世一代の傑作「When Harry Met Sarry」が
「恋人たちの予感」というのも困る。「ハリーがサリーに出会ったとき」では
マズいでしょうか。(内容からすると「出会った後で」とでもしたいところですが)
この手の「ロマンチック・コメディ」はアメリカでは「スクリューボール・コメディ」とも言われ、
知的な男女の行き違いと壮絶な口喧嘩を楽しむものとされているそうですが、
邦題は過度にロマンチックなのが多いですね。
「Sleepless in Seatle(シアトルの眠れない人)」が「めぐり遭えたら」というのも、
あれだけヒットしないと記憶のかけらにも残らない邦題だと思います。


水野晴夫先生の自慢話の中でよく出てくるのが、ユナイト社宣伝部勤務時に
「Midnight Cowboy」(これも世紀の名作)をあえて「真夜中のカウボーイ」とせずに
「カーボーイ」とした。車のリズム感を出すためにという何回聞いてもよくわからない話。
あと「A Hard Day's Night」=>「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」も
水野先生の作だそうですね。

一方傑作な邦題というのは昔に多いです。
「Love Is A Many-Sprendored Thing」という長ったらしい題名が
(ちなみにこの「sprendored」という言葉はウェブスターにも載ってないんですけど・・・)
「慕情」というのはすっきりしてていいですね。
ま、昔は誰も使ってない題名が多いので有利ですね。
「Gone With The Wind」=>「風と共に去りぬ」というのは直訳ですが文語体がよい。
ちなみにこの映画、中国では「飄」一文字と聞きましたがこれもいいですね。

英語だとかわいいのに訳すと難しくなるというのもあります。
本の題名ではジェーン・オースティンの「Pride and Prejudice」が「自負と偏見」、
(だからって「見栄っ張りと色眼鏡」というのはダメですが)
レコードの題名ではコルトレーンの「Love Supreme」が「至上の愛」というのがあります。
後者など、子供が生まれて神に感謝する、という内容で、
♪ラヴ・スプリーム、ラヴ・スプリーム・・・
とファンキーな歌が入っています。
これなど、なんでも深刻ぶる日本人の性格にもよりますが、
英語の力というか、邦題の限界を感じます。

ここからは全部音楽の話です。

はっきりした誤訳というのがあります。
キングクリムゾンの「In the Wake of Poseidon」は「ポセイドンのめざめ」と訳されてますが、
この wake は航跡という意味でめざめは誤りだとか。
有名なのがボズ・スキャッグスの「We're All Alone」(二人だけ)で、
「我々は孤立している」=>「今、ふたりきりだね」という非常によく出てくる表現ですが、
これを堂々と「みんなひとりぼっち」という絶望の歌にしてしまった例があります。
たしかこれ、リタ・クーリッジがカヴァーしたときの邦題で、
リタ・クーリッジが公園のベンチかなんかで歌ってる映像が誤解の一因のような気がします。

ハード・ロック、プログレはなんか異常にハリキリ過ぎの邦題が多い。
ピンク・フロイド「Wish You Are Here」=>「炎〜あなたがここにいてほしい〜」
というのは、ジャケットで人が燃えてるだけだし、
エアロスミス「Walk This Way」=>「お説教」
というのは曲調がラップだってだけですよね。(原題はその調子でいこう、みたいな・・・
ライブ中のスティーヴン・タイラーの身振りからすると卑猥な意味?)
すごいのが「ウェザー・リポート」の非常に軽快な作品「Tail Spinin'」で、
「Man in the Green Shirts(緑のシャツの男)」=>「緑衣の老人の踊り」というのは
曲調を明らかにぶちこわしていますし、
「Between The Thighs(膝と膝の間)」=>「股間からの風景」というのは
どう考えても気が狂ってます。ここまで来ると担当者の精神構造に真剣に興味が湧く。

それから洋楽全盛の時代になると、
非常にいらいらする「ヒトコト多いパターン」が出てきます。
恋のなんとか、涙のなんとか、というやつですね。
結構ギモンに思ったのは ABC の「Shoot the poison arrow(毒の矢を放て)」が
「嘆きのポイズン・アロウ」になったことです。まず、嘆きのって意味がわかんない。
で、ポイズン・アロウって生硬な英語がそのままカタカナになっている。
邦題の機能をゼンゼン果たしてない。アロウだと allow だか arrow だかわかんないし。
(ra ri ru re ro を表記する新しいカタカナを作ればいいと思うがどうか。
 トイザ“ら”スというのもありますね。あれはTOYS“Я”USを表現してるんですが、
 表現する必要あんのかなぁ・・・)
カラオケでカジャグーグーの「Too Shy」を入れようと思っても、
「あの子はトゥー・シャイ」なのか「恋のトゥー・シャイ」なのか
「嘆きのトゥー・シャイ」なのかわからなくて困る。歌手別索引引けって話ですが。
(ちなみに正解は「君はトゥー・シャイ」)

ワム!の「Wake Me Up Before You Go Go」=>「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」
カルチャー・クラブの「Karma Cameleon」=>「カーマはきまぐれ」
という、明らかにわかりやすい原題をぶち壊しというのもあります。
(ちなみに余談ですが(こんな文章余談ばっかりですが)
 ここでいう Karma は仏教で言う「業」(サンスクリット語のカルマ、生まれ持っている罪)のことですが、
 ♪カーマカマカマカマ・・・という軽快な曲調がボーイ・ジョージのパーソナリティを思わせて
 なかなか傑作だという話がよくされたんですが、
 実は「おカマ」という言葉の語源は Karma から来ているという説があって、
 そう考えると二重に傑作ですね)

文句ばっかり言ってますが、邦題は楽しいです。
「エルヴィスのスタック・オン・ユーが・・・」とか言われて
「『本命はおまえだ』だね」とかすぐ出てくると鼻高々になります。(俺だけ?)
これからも関係者のみなさんはがんばってください。

(12/15 追記)
12/13 付けの朝刊で、都築道夫さんの訃報がありましたが、
007 の紹介者としても知られる氏が
"To live and let die" を「死ぬのは奴らだ」と訳されたそうで、
これは邦題の傑作ですね。

Last Update : 2003/12/15 15:18