日々叢書(この著者ちょこちょこ昔の文章直します。スイマセン)

“ムカつく一言への咄嗟の言い返し”

題名を引用符で括ったのは訳があります。
そういう趣旨の題名の本があったんです。(正確にはどうか忘れましたが)
数年前に出て、ソコソコ売れたような気がします。

こういう本が出るほど、世の中には無神経な人が多いということでしょう。
ぼくなんかもしょっちゅう腹を立てている方ですが、
ぼくが無意識に人を傷つけている場合もあるらしいので、
あまり大きなことは言えません。

さて、ムカつく一言を言われると人はどうするか。
たいていは、友達に相談すると思います。ぼくもよく相談を受けます。
で、そういうときに

・でも君の場合は言われてしょうがないからねえ

というのは論外にしても

・彼は君の為に思って言ってくれてるんだよ
・こういう意味で言ったんじゃないの

というのはゼンゼン聞いてもらえません。

・こう言い返せばよかったんだよ
・XXさんに(共通の上司に、親に)こう告げ口すれば?

というのもあまり効果がありません。

・あの人はそういう人だよ、気にしない気にしない

ぐらいからダンダン現実味を帯びてきて

・わー、それはひどいねー。そりゃあないよ。うんうん。

というのが実は唯一可能な受け答えという場合が多いです。

友人のAさんは、とにかく怒りっぽい人で、
誰々にこう言われた、別の人にはああ言われた、という話が多かった。
でも、Aさんに言わせるとぼくもソートーらしくって、
いつも誰かに何か言われては腹を立てている、と当のAさんに言われて
「お前が言うか」と驚いたことがあります。
まずAさんが今日言われたムカつく一言をひとくさり述べて、ぼくが慰め、
後半は攻守交替する、という日も多かった。

「おかめはちもく」という諺があって、なんか面白いような怖いような顔をした
クリーチャーのことを述べているわけではなく、「傍目八目」と書きます。
囲碁の言葉で、対戦している二人ではなくその脇で見ている第3者には、
8手先まで読める、という話です。これを上の話に当てはめると、
ムカつく一言を言われた本人はショックで、
腹が立ち、誰かに言わずにおれないけれども、無関係な他人には、
その一言がいかに意味がなく、腹を立てるに値しないかがよく分かる、
ということですが、これが本当によくある。友達は大事ですね。

いぜんその人が直属の上司のBさんに、
「Aさんは使いづらいんですよ」と言われて腹が立ったということがあります。
AさんとBさんは政治的にはライヴァル関係にあったところもあるらしい。
でもこれ、冷静に考えて、直属の部下に「お前は使いづらいんだよ」と面と向かって、
それも何がどうだからここがこうだ、ここをこうしてくれれば助かる、
と具体的かつ未来指向で言うのではなく、ただ単純に印象批評を垂れ流してる時点で、
上司失格、会社人としてもドーカしてると思いませんか。
でもAさんは律儀に思い悩み、腹を立てている。

ぼくは咄嗟に、こんなこと年に1回あるかないかわからないんですが、
「でもAさん、Bさんに『あなたは使いやすくて助かります』と言われたら
 もっと困るだろ」
といいました。Aさんは「そうだね」と言って会心の笑みを浮かべました。

そもそも人を平気で傷つけているような人は、真面目に取り合うに値しない人です。
真面目に取り合うに値しない人から、何か傷つくようなことを言われても、
その言葉も傷つくには値しません。と、理屈の上では分かるんですが、
自分が直接言われるとやはり気になり、傷つく。そんな場合友達が重要になってくる。
でも、もし手近に友達がいなくても、ちょっと深く考える、一晩寝て翌日考える、
ということをすれば、気にするまでもない、ということにすぐ気づきます。
これには「認知療法」の考え方が結構有効です。くわしくは項を改めますが、
別段高いセラピー料金を払わなくても自分でできます。

で、「ムカつく一言への咄嗟の言い返し」ですが、本を読まずに感想を
書いているので外していたらすみませんが、自分を守るために相手に何か
言い返すんだろうと思います。で、これ、うまくいくかどうかわかりません。
というのは、人を平気で傷つけるような人は、人の話に聞き耳持たない場合が
多いからです。それに、人を平気で傷つけるような一言は、たいてい
上司である、目上である、年上である、老人である、子供である・・・
といった、何らかの社会的背景があって言っている場合が多いので、
(逆の立場なら、こういう人は卑屈に何も言わない)
不用意に反撃すると、向こうは平気で再反撃してきます。相手は
「人を平気で傷つけるような人」なのです。油断は大敵です。

この場合、「ムカつく一言への咄嗟の言い返し」を思いついたら、
思いついた時点で相手より精神的に優位に立っている自分に満足し、
「はあ」と曖昧に返事しておいて「言い返し」の方は心のエンマ帳に書いておく。
あるいはその夜に匿名で Web 日記に書くと。;;;
こういうダンドリはいかがでしょうか。

いや、それでは相手がクセになる、ナメられる、ガツンと反撃しておかないと、
後々まで禍根を残す、というご意見は当然あるかと思いますが、
これ、ちょっと厳しいことをいうようですが、
そもそもナメるかナメられるかという対立的な人間関係にいる
ご自分を反省すべきかもしれません。
理想を語れば、人間性を高めていれば、自然に尊敬しあう人が集まってき、
ムカつく一言を聞くこともないから、言い返すこともないはずでしょう。
しかし、現実はそうはなっていない。それは「優越感ゲーム」の中に
どっぷりハマっているからで、ナメられるのが耐えられない人は、
自分の方も人をナメて掛かっている、無意識に他人を傷つける言葉を言っている、
という可能性をこそ恐れるべきかもしれません。

『アルジャーノンに花束を』という本で「ニーマーきょうじゅにつたえてください。
ばかにされることさえおそれなければ、ともだちをつくるのはかんたんです」と
書いていますが、実際「優越感ゲーム」に血道を上げていいことはひとつもありません。
それよりは自分の中にこれだけは人に負けない、というものを作る、
(人に負けない、と言っている時点で優越感ゲーム的ですが ;;;)
この人なら気を置けないし尊敬し合えるという友人のグループを作る、
そして自己評価を高めるというのが効率がいいです。

また、もう少し現実的なところで言えば、ムカつく一言を柳に風と聞き流す、
という習慣を身に着けてしまえば、急速に相手もあなたに向かってこなくなります。
これはホントです。信じてください。
この効果があまりにも早いので驚くことも多い。
1週間もすれば目に見えて効果が出ます。
(なんか通販みたいだな)
彼はあなたを恐れているから、政治的な「優位」を確認するために
下劣な言葉であなたを貶めようとするわけで、あなたが相手にしない限り、
さらに攻撃してくることはありません。相手にされなくてもなお、
一人で悪罵を続けるような人は、社会的にもソートー問題人物なので、
それこそ放置しておいた方がいいです。そのうちもっと大きな力が働いて、
その人はいなくなってしまいます ;;;

その人にもいいところはあって、その人を直してあげるために言い返したい、
という局面もありますが、これはあまり効を奏さないようです。
そもそも悪罵は優越の確認から始まっている。悪罵を吐く人が180度態度を変えて
反省するでしょうか。これは無理筋だと思いますよね。

しかしながら現実問題として、会社の上司や家族といった顔を合わさざるを得ない人に
傷つけられたら、ツラいですよね。みうらじゅんさんの言葉に「親孝行はプレイだ」と
いうのがありますが、こういう場合は「いい社員ゴッコ」「いい嫁ゴッコ」をして、
ああ今日もうまく演じることができたと思い、不平は Web 日記に書くようにするしか ;;;
今のところ考え付きません。

あと、本当にがんばらなければいけないこと、
つまり好きなことに精を出して知識や技術を磨くこと、
尊敬しあえる友達を作ることの方をがんばりたいものですよね。
そうして自己評価を高めておけば、そうそう人にもバカにされなくなると思うんですが、
どうでしょう。

Last Update : 2003/12/29 19:04