このカテゴリーでは人生観に関わることや、他のコーナーでフォローしきれないことを書きます。
タイトルの割りに内容があまりにもしょうもないので読まれる方はコケるかもしれません。
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先日新幹線で移動したんですが、席に虫の居所が悪い赤ちゃんがいて、
火が点いたように泣き通しでした。
昔アグネス・チャン/林真理子論争というのがありましたが、
さすがのアグネス・チャンもちょっと頭イタくなるかと思う泣き方。
ぼくは、どっちかというと苦痛に弱いほうなんですが、
しかしこのときはあまり気になりませんでした。
これは、iPod でずーっとジョー・ザヴィヌルの音楽を聴いていたからです。
ザヴィヌルの音楽、特にウェザー・リポートを解散してからは、
ボーダーレスな民族音楽を電子化したようなアンチポップなものが多く、
最初はちょっと聞きづらいんですが、
いったんに親しむと(ハマると、というと分かりやすいでしょうが)
他の音楽よりも自由に聴ける音楽だということに気づきます。
音楽を「自由に聴ける」とはどういうことかというと、
・どんな気分のときも楽しく聴ける
・他のことを考えていても聴ける
事のほかに
・雑音に強い
ということです。もともとポリリズムや不協和音が多用されているので、
一緒にどんな雑音を聞いても、その雑音を音楽の一部に取り込んで聴くことができる。
これが美しいクラシックや、甘いポップスだとそうはいきません。
スティーヴィー・ワンダーの「可愛いアイシャ」をはじめ、
ポップスの世界にも子供の泣き声を効果音に取り入れた音楽も数多くありますが、
やはりどんな音が飛び出すかわからない前衛的な音楽に親しんでいると、
雑音の苦痛が軽減する、ということがぼくに関しては多いような気がします。
(ザヴィヌルの最近作の「フェイセズ&プレイセズ」は中でも聴きやすいのでオススメです。
なんか故郷オーストリアの「アマデウス賞」をジャズ/ブルース部門で受賞したそうです。
プレゼンターはジェームズ・ブラウンのサックスのメイシオ・パーカーだったそうな)
80年代に青春を過ごしたものとしては、
ロック/ポップスを聴くことがプロモーション・ヴィデオを見ることと切り離せませんが、
PV の中には相当ムチャな作品も多かった。
有名なのはビリー・ジョエルの「プレッシャー」で、けっこう俗な音楽なんですが、
ヴィデオはスゴかった。
とかいってあまり覚えてないんですが、赤ちゃんが出てきたり、
コップの水が沸騰したり(そんな場面なかったでしたっけ?)、
なんか「プリズナー No.6」あたりの名場面を高速カットでつないでいくような、
非常に前衛的なものでした。
たしか全カットを SF ヴィジュアル誌「スターログ」(日本版)で特集したような。
あとボニー・タイラーのバラードのヴィデオで、
なぜかジョン・ウィンダムの「呪われた村(光る眼)」のような映像を流したのもありました。
ジョン・カーペンターの爆笑の映画化よりだいぶ前。あんなの、たんにヴィデオ作家が
好きにやってただけじゃないのかなあ。でも、音楽がついてるとそれなりに楽しめました。
これが、ピーター・ガブリエルやイエスなどのプログレ上がりになるともっと攻撃的で、
モンティ・パイソン的なアニメが導入されたりして、どんどん表現を拡張していきました。
で、PV 体験を境に映画の見方が変わりました。
「なんでもあり」「カッコよかったらいい」と思っていると、
東欧やロシア、インドや中東の映画がすごく面白くなってきたんです。
ちょうど名画座がミニ・シアターに変わった時期だというのもあって、結構見ました。
ストーリーなんてわからないし、テーマなんかもっとわからないんだけど、
映像を浴びるというか、ただただ楽しむ機会が増えました。
で、こういう楽しみ方をしてるうちに、いわゆるクズ映画が楽しくなってきます。
こうなると結構人生無敵で、ワゴンセールのレンタル落ちの作品でも
それなりに楽しむことができます。名作やわかりやすい作品、人気作しか受け付けない脳の方は、
ゼヒ脳改造をオススメします。
で、ちょっと飛躍するんですが、こういうなんでもありの楽しみ方ができる、
言ってみれば快楽にだらしない脳を獲得すると、人生の逆境に強くなるような気がするんです。
ふつうに生きてたらツライこと、悲しいこと、腹が立つことはままありますが、
それを楽しむことができる、その根底に、ぼくの場合なんでも楽しめる脳、
飛躍を恐れない脳というのがあります。
これはいわゆる知性とか論理力とはまた別の脳の力ではないでしょうか。
専門家ではないので研究していませんが。
よく言われるのは、ユーモアのセンスを身に付けると逆境に強くなる、ということがあります。
たしかにこれは非常に言えると思います。
特に無神経な人の何気ない言葉にいちいちムカっ腹を立てることをなくすには、
なんでもユーモアにしてしまう能力が結構即効性があります。
でもこれって、よく考えると腹の立つ人のことを、頭の中で笑いものにする能力を
身に付けているわけで、道徳的にはあまりホめられたことではないかもしれません。
まあ、世の中じぶんが一番たいせつで、内心の自由は常にありますから、
こういう心のあり方もアリだし、大事だと思います。
でも、本稿で述べてきた、前衛芸術に親しんでなんでも楽しめる脳を身に付けようというのは、
即効性はないけどもうちょっと汎用性のある、いわば「心の底力」と言いたい力です。
まだ確信を持つには至ってませんが、似たような感興を持たれた方はいると思います。
他によく言われるのは、名作文学に親しむと逆境に強くなるというのがありますが、
これはちょっとお説教の匂いがします。
たしかに古典文学の中にはやはり人を引きずり込む力を持った作品が多くあり、
それに親しんで興奮するというのはやはり逆境に対抗する力となるとは思いますが、
読書の習慣がない人にはちょっとツラいですよね。
(読書の習慣がない人、というのが最近おおいらしく、必ずしもそれが本人の責任でないらしくて、
最近おもうことが多くあります。実は読書は安上がりの最高の娯楽なんですが、
これはまた項を改めます。)
また、さらによく言われるのは、宗教体験によって逆境を乗り越えるというのがあります。
実はぼくの前の会社の社長がアメリカ人らしくゼンに凝っていて、
その影響で最近ちょこちょこ道元の本とか読んでいますが、
とりあえずぼくは本格的に取り組む気は起きません。
まず、いろいろ騒ぎになっている通り、とりあえず新興宗教はハイリスクだと思います。
また、フツーの宗教を昔からマジメにやってる人はすごく多く、
中には尊敬に値する人も数多いとは思うんですが、
フツーの宗教でもお金や時間がけっこう掛かりますよね。
その割りに効力がいまいち間接的な気がします。
(だいたい「効力」とか言ってる時点でもう宗教者失格ですよね ;;;)
ていうか、そもそもいま、宗教が原因で世界は逆境のど真ん中という感じですよね ;;;
また、ときどき言われるのは逆境を乗り越えるのにある種のクスリを使って。
しかしこれは、あまりくわしくないので割愛します ;;;
(でも、ぼくが言う前衛芸術というのは 60〜70 年代のサイケ時代に端を発するものが多く、
この時代の芸術はドラッグやメイソーの影響が抜きがたく存在するので、
そういうもののオコボレを安全に取り入れているのかもしれないが)
ま、いろいろありますが、とりあえずあまりポップでない音楽や映像作品に
ちょっと背伸びして親しむ習慣をつけると、逆境に強い脳が安上がりに身につくのではないか、
という提案です。