古典の大著というのは、ホントに若いとき読んでおかないと、
年取ってからはなかなか読む機会を失ないます。
用事が多くなるので「まとまった時間」が取れなくなります。
そうすると、いきおい空き時間はゴラクに走ってしまう。
「楽しみに、難しい本を読み解く」というのは本当にゼータクなことだなあと思います。
うんと年を取るとまた読める機会も増えるのかもしれないけど。
若い人、特に「萌え」本を読んでる男の子や「やおい」本を読んでる女の子は、
その合間合間でいいから難しい本を読むことを心からおすすめします。
大江健三郎さんが「自分の木の下で」の中で、
「よく、若い人が、電車の中でマンガを読んでいますが、
わたしは、電車の中では、なるべく難しい本を読むようにしています。
みなさんも、よく考えてみたら、マンガだったら授業中や
夜の勉強の合間にも、ささっと読んでしまえるじゃありませんか。
そうであったら、どこにも逃れようがない、退屈な電車の時間を利用して、
難しい本を読むことをオススメします」
という趣旨のことを言っていて、ナルホドと思ったものです。
ぼくは筒井康隆さんが褒めた本と小林信彦さんが褒めた本は
一応読もうと思っています。
この二人の書評本、読書ガイドというと
「みだれ撃ち涜書ノート」と「小説世界のロビンソン」ですが、
どちらも褒め方が非常にうまく、ここまで言われたら読まずにおりゃろうか、
という気持ちになって読みます。
トーマス・マンの「魔の山」は前者に書いてありました。
とにかく、途中から急に面白くなるので、ガマンして読め! というハナシです。
「みだれ撃ち」は高校時代に出た本で、かれこれ20年以上も「魔の山」に
挑戦してきましたが、なかなかその峠が越えられずに中年期に達してしまいました。
こないだ、数日客先に電車で通う機会があって、
ああ、今度こそ「魔の山」だと思って読み始めました。
あらすじを紹介したからどうのという話ではないのでちょっと書きますが、
要は世に出る寸前の青年が肺病になって、
高山の診療所で、面白い患者に会ったり、患者同士の論争に巻き込まれたりして、
いろいろと考える、という話です。
ちょっとこの青年が本当に病気なのか、それとも医者がそう言ってるだけなのか、
そもそもこの診療所カラダにいいのか微妙なところがあって、
そういう微妙に気持ち悪いところを楽しむようにして読みつづけると、勢いがついてきます。
あと、とにかくハンス青年の周囲の人たちがお互いに論争し、
それをハンス青年の立場で読者であるわたしたちは傍観することになりますが、
哲学や思想についての基礎知識だけでなくて、
当時の論壇の時事ネタみたいなものを知らないとついていけないハナシらしくて、
すべての話を理解しようとすると挫折します。
これは「全部はよく分からないけど、とにかく熱心に論争してる人たちを
横で見ているだけでも面白い」という気持ちで読んでいると勢いがつきます。
さっきから勢いと言ってますが、
もちろん本というのは勢いをつけて読んでしまわなければいけないものではありません。
が、この本は読みつづけているうちに本当に面白くなってきます。
どこがどう、という話ではないんですが。
これはもう、読んでくださいとしか言いようがありません。
途中、主人公が延々とスキーをする場面があって、
「いいから寝てろよ! 病気なんだろ!」
と誰もがツッコミを入れたくなりますが、その場面など、
読んだ後もときどき、寒い夜道を歩くときなどにぼうっと思い出します。
で、読了したあとに、これは正直なところですが、
ああ、自分はこんな長い、難しい本を読み通したんだ、という誇らしい気持ちになり、
一段強くなったような気になります。
で、トイレなんかに置いておいてチョコチョコ拾い読みして、
ここが面白かった、ここがヘンだった、とか思ってるうちに、
ああ、愛読書だなあ、と思います。
こんな本はなかなか出会えません。そこが古典の力なんだと思います。
ということで、だまされたと思ってぜひお読みください。